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だって、あなたから嫌いになったくせに

小さい頃は、二段ベッドの下がわたしの寝床だった。

天井を見ながら眠るのがなんとなく怖くて(顔とか出てきそうで)、だから上の段は妹に押し付けた。押し付けたといっても、たぶん、こだわりのない妹は上でも下でもどちらでもよかったのだと思う。

父はよく、眠る前にベッドの中に入ってきて、絵本を読んでくれた。おばあちゃんから大量にもらったアンデルセンの童話のどれかだったと思う。父の声のトーンなんかはすべて忘れてしまったけれど、その時間が好きだったことだけははっきりと覚えている。

父がそのようにして本を読んでくれたのは、たしか私にだけだった。

別の日。夏のある日、私は麦茶が入ったガラスのポットを盛大に落とした。割れた破片が足に刺さって、父が血相を変えて私を抱き上げたとき、「怒られる!」と思って身をすくめた。

なのに、父は怒らなかった。

「こら!」ではなくて、「大丈夫か?」と言ったのだ。父は私をお風呂場につれていき、ガラスの破片を避けて、かすかに滲んだ血と浴びた麦茶を洗い流してくれた。その後どうなったかは忘れた。

父から愛された記憶は、こんなふうに断片的だけど、たしかにある。

数十年後。

鬱病になった父は、私の存在が「緊張する」のだといった。この緊張するというのは、正確な意味は私にはわからないけれど、気にしいな私が気分屋の上司の顔色をうかがうときの嫌な緊張感に似ているのでは、と私は思う。私のなにかが父の心を締め付け、萎縮させているという事実が悲しかった。

父は次第に、家族を拒絶するようになった。

それから私は、父と和解するきっかけを持たないまま家を出た。

私は、父のことが好きなのか、嫌いなのか、憎らしいのか、よくわからない気持ちのままでいる。


お父さんは、わたしのこと好きだったのかなあ?

わたしは、好きだったのになあ。

愛してほしかったのになあ。


今でも、私の中にいる子どもの私がそんなふうに思う。

「家族だから」というのは、つながりの保証にはならない。むしろ、家族だからこそ、亀裂が埋められないこともあるのだろう。

父の弱さ。私の未熟さ、愚かさ。大人になった私も、父のことに関しては大人になりきれずに、子ども時代の私の手を握って、途方にくれるしかないのだった。

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