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一人旅体験エッセイ ドイツ ドクメンタ15作品鑑賞〜信長もびっくりの虫と風と排泄編〜

5年に一度の芸術祭、ドクメンタ15にベルリンから一人旅に行ってきた体験エッセイ、3本目。

7時間半かけてベルリンから鈍行でカッセル中央駅に向かう途中、
ブラックコーヒーで渋い朝を迎えようとたところ気づいたらクリームたっぷりホットココアを頼んでいたり、
ぼーっとしていたら大切な哲学ノートを乗り換えの駅のトイレに忘れてきたり、
ノートを忘れたショックで頭を抱えていたら到着駅を乗り過ごしたり、
そしてなんとかたどり着いたドイツ、カッセル。

目当ての芸術祭、ドクメンタ15の作品を回りながら街を歩く。

街を抜け全長2kmの大きな州立公園を歩く。

何やらカラフルな塊と小さい建物があるので近寄ってみる。

The Nest Collective 送り返された廃棄物と便秘について

塊をよくみると、布の端切れの塊、プラスチックの破片や車のパーツの塊が置かれていた。
建物に近寄ってみると壁は全て布の塊でできており、どうやら古着を集めて作られた小屋のようだった。

中に入ってみると内部も古着の壁がむき出しに囲まれていて、大きなモニターで映像が流れている、

ケニアのアーティストが行き場のない衣類やゴミの話をしている。


日本で不要になった古着や車が他国で使われるという話はよく聞くが、それらが不要になったら?
一方的な矢印の再利用でなく、円のように繋がったサイクルの流れができていかないと、これからの地球はより便秘になっていくだろう。

そうして吐き出す先がなくなった矢印がめぐり、送り主に返されてきたのがこの廃棄物、会場の展示品というわけか。


私も便秘になりやすいタチだ、

大事なものを丁寧に取り入れ、消化し、大事に出していきたい。


La Intermundial Holobiente 堆肥の山


木々の間の木漏れ日を抜け、公園の一番奥までやってきた。
作品の看板が控えめに立っている。

木々の間隔が狭くなり、山奥の墓の入り口みたいな道を抜けると一気に視界がひらけた。

ここは楽しみにしていた堆肥の山があると聞いていた場所だ。


今まで真っ平だった公園にこんもりとした山がいくつか現れ、土の表面には多様な雑草が生えている、
地元の裏山のような光景。

その先には大きく空がひらけていて、
"絵で描かれた自然"の薄い布が気球で吊るされ、
"本物の自然"と溶け合っている。

右手には小さな物置のような小屋があり、中に入ってみると沢山の手書きの紙が貼られている、殴り書きの文字はよく読めない。

壁には小さなモニターがいくつかあって映像が流れている。

森の中で本を開き、その本の上を虫が歩き始め、その虫の跡を鉛筆でなぞる、そんな映像だった。


小屋の外に出る、

壁に文字がドイツ語と英語で書かれているが、単語が難しい上に長い。
文字だけ追ったところで全く理解できない。

早々に文字での理解を諦め、堆肥の山とそこに生える植物に目をやった。

生き物の強さを感じる、
地球の強さを感じる、
空は青く、植物は多様な緑色を陽の光の下にむき出しにして風に揺れていた。

後になって翻訳に頼りながら調べてみた、
どうやらこれらは元々公園の堆肥場を利用して作られた作品らしい。

作者のアルゼンチンのグループは、アーティスト、作家、哲学者によって構成され、視覚、文学、哲学分野が融合した表現を模索し表現しているらしい。

どうりで説明文が全く読めなかったわけだ、日本語で書かれていたとしても単語が難しい。

非人間中心の世界を形成するための議論をここで行い、書き、熟考してできたのがこの空間だという。

様々なバクテリア、
それらが分解し生まれた栄養素から育った様々な植物、
多様な虫や動物、

そんな非人間的なものに囲まれたこの空間で、
人間が、「非人間世界を、どのように作っていけばいいか?」を議論する。

なんだか、無駄のない無駄な動き生産的な非生産物、みたいなカンジ、
人間ぽいなあと思う。

人間と非人間に分けるというよりは、やおよろず的な感覚の方が日本人的には馴染みやすいかもしれない。

堆肥を通り過ぎ、元来た公園の北側へ戻りつつ途中の作品も見ていこう。


Más Arte Más Acción  虫の声を浴びる


ビニールハウスの作品に立ち寄る。

ビニールハウスの中に大量に積まれた切られた木、
その木に生息する生きた虫。
スピーカーから流れる虫の声。

人は私以外におらず、積まれた丸太の前で目を瞑って虫の声を浴びてみた。

虫の(声)と表現するのは日本特有、とよく聞くが
そもそも海外にいると、あの日本の夏のような、虫やらカエルやらが四方から浴びせてくるような音自体経験がない。

ドイツの森に泊まった夜も、聞こえたのはか細い鈴虫のような声だけだったし
オーストラリアの田舎の夜は変な鳥の声の方がよく聞いたくらいだ。

やはり湿度が関係しているのかなあ、
アジア圏のように湿気が多いと虫やカエルは元気になるのか、
もしくは湿度高すぎ!!と叫んでいるのか。

虫のことを考えながらビニールハウスを出て歩く、小さなテントにたどり着いた。
中では蝶の標本を作る映像が流れている。

また虫だ。

ここでもスピーカーから虫の鳴き声が響く。

生きた蝶の胴体部分を細い溝にはめて針で固定する。
透明なシートで羽の部分を丁寧に広げ、形を固定するために羽根を傷つけないようギリギリの場所を針で刺していく。

息が詰まるような繊細な作業。

蝶はどの時点まで生きていて、どの時点から死んでいるんだろう。



時刻は15:30
公園の作品は見て回れた。
本当は唯一の日本人参加者の作品も見たかったが、
どうやら移動する作品らしくキャラバンには出会えなかった。

会えない時は会えない、そんなもんか。

公園を出てフルダ川沿いに出る、穏やかな川。
数人の大人が泳いでいる、私も余裕があったら入りたいところだが足早に川沿いの道を歩き進めた。

川沿いのこちら側とあちら側に作品がある。


500年前の要塞Rondell(ロンデール)


道を歩き進めると、左手に重厚な壁が現れた。かなり大きい。

なんと500年も前の砲塔の要塞らしく今も残っていることに驚きだ。

物理的に外界から守るため、壁の厚さが10メートルに及ぶという、

約450年前築城、安土城城壁の10倍以上、
信長も腰を抜かすほどの分厚さだ。

そりゃ数百年も残るわけだ。
地震がないってすごい。


要塞の壁沿いに歩くと橋の麓に出た、壁は円形の建物に繋がっており、どうやらここが元大砲をぶっ放していたところらしい。

その元砲塔の建物でも作品があるらしく入り口では数組の人が並んで入場を待っていた。
人がまばらなカッセルにて初めての行列だ。

二人の年配女性の後ろに並ぶ。
中から人が出てくるとその人数分入れるらしい、入り口横に座る若いスタッフが暇そうにスマホをいじっては思い出したようにお客のチケットを手持ちの機械でスキャンしている。
足元には大量の水。

そういえばあまり若い人を見ない、列に並んだ人を見ても年配か中年か。
年配の人が足を運ぶ芸術祭、
67年かけてこの地で開催され続けている証拠なのかも。


Nguyễn Trinh Thi ベトナムの森に吹く風、唐がらしの影、遠吠え

待っている間に入り口横に貼られた作品紹介のQRコードを読み込んで
ウェブサイトの説明文を読んでみる。
分からない文字をそのまま調べられるからとても便利だ。

〜〜〜
ベトナムのタムダオの森のセンサーと連動したライブシアター作品らしい。

作者はNguyễn Trinh Thi 、ハノイを拠点とし
音、空間、イメージを駆使し歴史や記憶、土着性を表現する映画製作者兼アーティスト。

この作品はどうやら2000年に書かれたベトナム戦争中の自伝的小説
「Tale Told in the Year 2000(2000年に語られた物語)」
から着想を得ている。


1960~70年代、ベトナム北部での捕虜収容所で重労働を強いられていた収容者の生活や森や動植物についてを描いた自伝的小説の中の、

労働で疲れ果てた1日の後、収容所の周辺にあるタム・ダオの森でチリの生殖地に遭遇し、その味に夢中になるという場面。

そのシーンを、歴史的拷問室があることでも有名なここRondellの暗闇とベトナムのタム・ダオの森に吹く風を繋げて再現する。

この本は2000年に出版されたが、ベトナムでは出版後すぐに禁止された。

ベトナムの森に設置されたセンサーが風に反応すると、LEDの光がチリの葉を照らし壁に葉の影を大きく映し出す、同時にベトナム北部の民族楽器サオイフルートの音が響く。
〜〜〜

ここまで説明を読んでだいぶ入り口が近くなってきた。

黒いカーテンの奥から老人が数人ゆっくり出てきた。
皆口々に足場が見えにくかったねぇと言っている。

老人と入れ替えに入り口へと進む、
要塞の壁の厚さ10メートルの距離を歩いて、カーテンの奥に体をすり込ませると中はとてもひんやりしていた。

薄暗いドーム型の空間、中心に円形にスペースがありクッションが無造作に置かれ、数人が床に座っている。

みんなひたすら煉瓦が剥き出しの壁を眺めている。

たまに思い出したように、唸りのような、遠吠えのようなサイホーンの音がじんわりと響く。
左側の壁と天井にチリの葉の影が映し出され、音とともに消える。

しばらくすると今度は目の前の壁、後ろの壁、とランダムに影が映し出されるようだった。

向かいに座る年配の女性がスマホで撮影しようと構えているがなかなか影が出てこず諦めてスマホを下ろした。
その瞬間に後ろの壁にチリの影が現れた。

ベトナムの森に吹く風は気まぐれだ。


煉瓦の壁に映るチリの葉の影は実物の何十倍も大きく映し出され、不意に消える。

根拠なく大きくなる不安感や恐怖心のようにも見えたし、
大きく包み込んでくれる幼少期の両親の腕のようにも思えた。


みんな黙って壁を見つめている、静かな暗闇、心地いい空間。

抗えない大きな力、戦争、そんな中を生きた本の筆者は何を感じていたんだろうか。

民族楽器サイホーンの音が響く、

動物の遠吠え、悲しみの泣き声、怒りの叫び、やるせ無さ、故郷の哀愁、色んなように聞こえてとれた。

ベトナム戦争についてあまり知らなかったので、少し調べてみた。

1960年代、枯葉剤の攻撃により北ベトナムの森林や大地、植物は大きく傷ついた、毒の影響で傷付き死にゆく動植物。
民族の多くも射殺され、20年という長い年月で犠牲者は南北合わせて458万人にも及んだという。

舞台になったタムダオの森は、今は国立公園として保護され、雄大な景色を見せている。


この作品、見れてよかったな。


そのまま橋を渡り川の向こうに降り立つ。

一つ一つの作品のウェイトが大きい。
さすが世界的な芸術祭。

反対側の川沿いの作品を見て、東にあるホステルに向かい早めにチェックインをしてシャワーを浴びよう、そのままホステル周辺にある作品を20時の閉館まで見て回ろう。


作品紹介とその感想が続くが、まだまだ旅の半分にも至らない。
夏の終わりの旅を書き残していたら、気がついたらベルリンはすっかり冬ムード。
文字で体感と情報を残すのはこんなにも大変なのか、、と思いつつも残していこうと思う。

次回も作品群についてと、ホステルのテェックイン、旧教会について。