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アメリカコンプレックス克服の道のり🇺🇸

アメリカ。

世界一、金と力がある国。アメリカに住む前、私はそこにある種の恐怖を感じていた。完全にアメリカは私のコンプレックスでもあった。一度住んでみたい、しかし憎悪の対象だ。憎き国アメリカ。アメリカに対する愛憎混じる感情で、私は20代の間、ずっと苦しんでいた。

母親の影響

私の母は、日本人だが子供時代をアメリカで過ごした。しかし、母のアメリカに対する思いは複雑で、苦しみに満ちている。アジア人差別の苦しみ、治安の悪さ、日本への憧れ、そんなものが、母の話から読み取れた。私は、アメリカに対して、苦しいイメージと、自由なイメージの二つを抱くようになった。

他の家族はアメリカへ

私が二十歳の頃、私と姉以外の家族は、またしても仕事でアメリカへと飛び立っていった。私は思った。「絶対アメリカなんて行くもんか」
アメリカへは行きたくなかった。しかし、好奇心があった。アメリカ!きっと自由なのだろう!なにか可能性の満ちた国なのだろう!
私は完全に、アメリカをこじらせたヤバい女になっていた。結局、悩んだ末に転職を考えたタイミングで、よくわからない感情でアメリカへ行くことにしたのだった。

アメリカ到着、そしてコロナ、BLM、大統領選挙。

アメリカに到着してから、本当にいろいろなことがあった。
コロナがあり、BLMがあり、大統領選挙があった。この頃私は、マッチングサイトで知り合ったアメリカ人男性たちと、よく会っていた。男どもはほぼ全員、政治の話をした。うんざりした。
付き合った男性もいた。インド人とアメリカ人のハーフだったが、見た目は白人だった。白人の見た目を特別にいいと思わないようにしても、それはかなり厳しい。私たちは、メディアによって、あの顔立ちがいいのだと、相当刷り込まれている。アメリカに住むというのは、人種差別について考えるということだ。自分はアジア人で、BLMでは黒人差別が叫ばれ、白人すらもanti-whiteに異を唱えたりする。なんとも言えない気分だった。
彼は、大のトランプ派だった。私はトランプが嫌いで、衝突した。結局、そんな感じで別れた。

アメリカ大旅行

彼氏と別れた私は、東海岸やシカゴなどを日本人の友達と、バックパックで一カ月旅行した。イギリスから独立してできた国、アメリカ。独立戦争が始まったボストン、最初の首都フィラデルフィア、そしてワシントンD.C。この国は、白人がネイティブインディアンを虐殺してできた国だが、しかしもともとは、イギリスの歴史から抜け出して自由を夢見た変わり者たちにとっての小さな村だったのだ。フィラデルフィアにあった、村の集会場のような国会議事堂を見て、唖然とした。最初は、なんて小さく弱い国だったのだろうか。
アメリカの原点を見て、私はこの地にやってきたイギリス人たちの、意志のようなものを、何か感じ取った。変わりたい、変えたい、そんな意志を。

またしても彼氏できる

旅行を終えてから、日本人男性と付き合って、今に至る。この彼氏、9歳からアメリカに住んでいる。どこか自分の母と被る。しかし、この彼氏、アイデンティティがアメリカ人なんだか日本人なんだかよくわからない。
原爆。パールハーバー。これらは彼氏との間でタブーとなったワードだ。私は日本側につき、彼氏はアメリカ側につく。
不思議なことに、半分アメリカ人の彼氏といると、自分のコンプレックスが解消される。私には、アメリカを愛する気持ちはないが、彼氏がアメリカに愛国心があることが、結構私にとっては重要なことだったりする。私にとって、アメリカという国は、とことん重要だったのだろう。自分でも掴みきれない、アメリカに対する思いを、彼が潤してくれる。

日本へ

私と彼は、近々日本へ帰る予定だ。私は、アメリカコンプレックスという大きな課題をかなり解消したので、日本でまた普通に働くことになる。もう、アメリカに憎しみはない。

きっと自由な国アメリカへの思いが、20代の頃あまりにも強すぎたのだ。もう、大丈夫。コンプレックス、なくなったよ。あと少し、アメリカを楽しませてね。

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