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【三方五湖周辺の地形と歴史:変わりゆく地名】ゆるく楽しむ日曜地質学:2023年6月11日号

ここ最近は雨が多くなってきている印象ですが、東北もそろそろ梅雨入りでしょうか?
我が東北楽天ゴールデンイーグルスがようやく勝ち始め、少し元気になってきています(笑)

変わりゆく地名

ここ最近は三方五湖のとある地域について紹介しています。
今回も同じ地域の歴史についてお話ししましょう。

三方五湖周辺地形図:スーパー地形画像に筆者一部加筆

水月湖の北東の地域です。

水月湖北東地域の地形図:スーパー地形より抜粋

拡大しました。

三方五湖は全ての湖が別の湖と川等でつながっており、この地域では水月湖菅湖の水は浦見川(うらみがわ)を通って久々子湖(くぐしこ)に流れています。

水月湖北東部地域の地形図②:スーパー地形画像に筆者一部加筆

赤線で囲った場所が浦見川です。
ところがこの川、調べてみると人工的につくられた水路でした。

この地域では1662年大地震(寛文大地震)が発生し、菅湖の東岸が隆起したそうです。
その結果、菅湖から久々子湖へ流れていた気山川(きやまがわ)が流れなくなり、湖の水面が約3m上昇。沿岸の集落が浸水被害に見舞われます。

水月湖北東部地域の地形図③:スーパー地形画像に筆者一部加筆

おそらく、気山川は上図のように流れていたと考えられます。
現在は川の名前はなくなっており、山の名前だけで「気山」が残っています。
当初は気山川の開削に着手しましたが、延長が長く大量の土砂が発生する等、問題が多かったため、浦見川の場所が開削されることになったようです。その当時の地名は「浦見坂」でした。

参考サイト👇

ところが!

水月湖北東部地域の古地図(若狭国より抜粋):国立公文書館アーカイブより

なんと古地図では「恨坂」と書いてあります!
どのような背景でこのような地名なのかは分かりませんが、恨坂をもとに川の名前が付けられたでしょうし、浦見川も以前は「恨川」だったのかも知れません。少なくとも、この古地図がつくられた1838年時点では「恨坂」だったようです。
しかし、やはり「縁起の悪い名前」ということで、「浦見川」に改名されたのだと思います。
それがいつだったのか?は、地元の人の言い伝えで残っているかも知れませんね。

この地域については、もう1つエピソードがありますので、また来週をお楽しみに♬

今週の予告

今週も金曜の投稿を目指して執筆予定です。
結局は今週と同様に、土曜日になるかもしれません。

〇6/6 金曜日:日本の歴史と地形・地質
「行き」の行軍ルートを考察④:「金ヶ崎の退き口」を地形・地質的観点で見るpart5【合戦場の地形&地質vol.3-5】
※タイトル変更の可能性あり


では、今週もよろしくお願いいたします。

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