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尖った地層が生み出す天然の要害!!:小谷城が堅牢なワケ part2【お城と地形&地質 其の四-2】

日本の「お城」を地形・地質的観点から見ていくシリーズ。
其の四では「小谷城」をテーマにしています。
小谷城はとても攻めにくい城で、その堅牢さの理由の1つは地形的特徴である「細長い尾根」だとお話ししました。

前回記事はコチラ👇

では、そのような細長い尾根はナゼできたのでしょうか?
もちろん、答えは「地質」にあります。


どんな地質?

前回記事の地質図をもう1度見ましょう。

小谷城周辺の地質図:スーパー地形画像に一部加筆(産総研シームレス地質図V2を表示)

全体的に灰色の地質が広く分布し、一部だけ、ブーメランのような形でオレンジ色の地質が分布しています。

オレンジ色の地質

オレンジ色は古生代石炭紀中~後期から中生代ジュラ紀中期(約3億3000万年~約1億7000万年前)チャートです。

チャートは二酸化ケイ素(Sio2)の殻を持つプランクトンの死骸が深海底に堆積してできる岩石だと言われています。

チャートは物凄く硬く、ハンマーで叩くとカキーン!という音がして火花が散り、容易に跳ね返されます。

層状チャートの事例:産業総合研究所より
チャート標本の一例:産総研地質調査総合センター地質標本館より

事例写真です。
硬そうに見えるでしょうか?
色や見た目は場所によって違いますので、そこはご注意ください。

灰色の地質

灰色の地質は中生代中期ジュラ紀~後期ジュラ紀(約1億7000万年~約1億5000万年前)メランジュです。

メランジュとは、泥質の地質中に、硬い砂岩やチャート岩塊等が乱雑に混じり合った地質です。

メランジュの一例:産業総合研究所より

見た目はこんな感じ。

海洋プレート大陸プレートの下に沈み込む際、海洋プレートの上(海底)に溜まっていた堆積物や海山等が大陸プレートに引っ掛かってくっつき、後からやってくる堆積物もくっついてギュウギュウに押され、グチャグチャに混ざって形成されました。

つまりオレンジ色に塗られたチャートも同じように引っ掛かってくっついたものであり、このような地質を総称して付加体(ふかたい)と言います。

付加体のイメージ図:産業総合研究所より

では、このような地質がどうして「細長い尾根」を形成したのでしょうか?
チャートメランジュのそれぞれに原因がありますので、順番に見ていきましょう。

チャートのかたちが!!

「地層」は基本的には平板状レンズ状のかたちをしています。
しかしこのチャートは付加体の地質ですから、かなり変形して複雑なかたちになっているようです。

そこで、地質図を分析して、どんな立体形状なのか割り出してみました。

小谷城周辺の地質図:スーパー地形画像に一部加筆(産総研シームレス地質図V2を表示)

上図のように、少なくとも4つの面(上図の赤・黄・青・緑)に囲まれた立体で、それぞれの面が同じ色の矢印の方向に傾いているようです。
その傾斜角は、それぞれ図示した角度です(概ねの角度)。
(※それぞれ平滑な面で、その面で山を切った時の「切り口」を赤黄青緑で図示しています)

立体だと難しくて表現できないので、概ねの断面図をつくりました。
2つあります。

小谷山断面図位置①:スーパー地形画像に筆者一部加筆

上図の青線の方向で切った断面図を赤矢印の方向から見た断面です。

小谷山断面図①:スーパー地形の機能を用いて作成した断面図に筆者一部加筆

黒線と黒点線の内側チャートです。
このような尖がったかたちなら、確かに細長い尾根になりそうです。

小谷山断面図位置②:スーパー地形画像に筆者一部加筆

次は、小谷城に近い場所の断面図です。

小谷山断面図②:スーパー地形の機能を用いて作成した断面図に筆者一部加筆

こちらも尖ったかたちで、しかも薄い。
硬い地層がこのように分布していれば、確かに細い尾根になりそうです。

テッペンの硬い岩だけ残る?

メランジュは軟らかめの泥岩の中に不規則に硬い岩塊が入っています。
そのため、泥岩部分は侵食されますが、硬い岩塊は残ります。

メランジュの侵食イメージ図:筆者作成

マンガを描いてみました。
クリーム色が硬い岩塊で、灰色が軟らかめの泥岩部分。

侵食で岩塊は残りつつも、斜面の途中にあるものは徐々に足もとがえぐられ、ある時にポロッと抜け落ちます。
しかし山頂の岩塊は残り続け、硬い岩塊の範囲だけが尾根として残ります。

岩塊はメランジュ中に不規則に入っているので、はじめ山頂に岩塊は出ていなくとも、泥質部分が削られるうちに、いずれ岩塊が顔を出します。
ひとたび顔を出せばなかなか侵食せず、残ります

つまり、尾根の幅は「岩塊の大きさ」に限定されますよね。
これも確かに、細長い尾根ができそうです。

モチロンこれはあくまで、地形・地質データをもとにした私の仮説にすぎません。

しかし、信長が攻めあぐねた小谷城の堅牢さの原因が、約3億年前の地層だったと思うと、ロマンを感じませんか?

次回は「水」についてお話しします。

お読みいただき、ありがとうございました。

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