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隣駅まで1時間、遠回りも悪くないのです。

ふと、電車の中で本を読みたくなる時があります。


それはたいていの場合、目的地にたどり着くまでの移動時間というのが前提にあって生まれる感情なのですが、わたしの場合ちょっと違っていて...

特に行きたい場所も目的もなく、ただあの空間で本を読みたくなるんです。そういう時は山手線で隣駅まで片道140円の切符を買い、わざと遠回りします。

「池袋」がスタート地点ならゴールは必然に、「目白」か「大塚」。

その日の気分によってというより、その時に到着した電車次第で内回りか外回りかを決めちゃうことが多いかな。


『内回りなら、大塚まで行こう』

『外回りだから、目白だな』


そして電車の隅っこの席が空いていたら、周りにおじいちゃんやおばあちゃんがいないのを確認し、すかさず座ります。

スマホにイヤホンをさし耳につけたら、タイマーを55分に設定してスタート。時間が有限であることを教えてくれる、この瞬間がたまらなく好き...!


その日の気分にぴったりの音楽を流し、

本を開くと文字が言葉に、言葉が文章に、

そして文章が物語として心の中にジーンと広がっていく感覚。

周りが気にならなくなるくらい自分の世界に入り込んだらわたしの勝ち。


気づいたら時間を忘れ、いつもなら乗り過ごすことも多いわたしにタイマーが「今日はここまでにしようか」と合図をくれます。

隣の駅まであと5分。そこで本を閉じ、余韻を楽しむのです。

反対周りで約1時間かけてたどり着いた隣駅はなんだか少し遠いところに来たような、そんな感覚にしてくれます。


本の世界と現実をまだ行ったり来たりしている最中、ふらっと立ち寄ったカフェでコーヒーを頼み、再び本の世界に入る。

この何の生産性もない一見すごくムダな遠回りした時間が、わたしを非現実に誘ない、日々の焦燥感や圧迫感から逃してくれるんです。

こういうムダを自らで作ることで、わたしは「好きなことをしながら生きている実感」を得ているんだなと感じるのです。



ほらね、遠回りもムダ遣いも悪くないでしょ?

 

いただいたお金は全て息子に捧げます