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"愛"って思ってたのとは、なんか違う

ある日のことだ。

目には見えない世界を本業として活かしている友人に、自分が作った石ブレスを見せていた時に。「石のエネルギーを感じてみて」と言われ、あれこれ手渡されるままに起こる感覚の変化に意識を向ける…ということをしていた。

普段はこういうの全然わからなくて。ごくごくたまに「今日は鋭敏かも…」という時に、気のせいかな?という程度にほんのり感じるくらいなのだけど。彼女の側にいると、そんな時よりももう少しだけ感覚がハッキリする。

だからその日も彼女のおかげで、石ブレス達がそれぞれ違う気配を発してることくらいはなんとなく感じ取れていた。

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感じたことを言葉にして、種明しのように彼女の解説を聞かせてもらうと。「ああ、感じたことを明確にしていくとそういうことになるかも…!」と納得ができて非常に面白い体験だった。

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その会話の中で「これは犬と過ごす時に着けるといいよ」と彼女が自分に勧めてくれたブレスがあった。

彼女が「そんなタイプじゃないと思ってたのにこんなに母性愛あったんじゃね、それをさらに広げてくれるよ」と笑いながら渡してくれた、4種の石で組んだブレスは。「帰るべき場所、愛、そういうものをさらに強化してくれる」らしい。

それを聞いて驚いた。自分がこのブレスを彼女から渡されて先に感じてみた時には、ちっとも"愛"なんて感覚を覚えなかったからだ。


愛のエネルギーと聞いて思い起こすイメージは、ふわっと温かいとか包み込むようなとか胸にジワッとくるとか。はたまた軽やかで透明感があるとか。なんかこう…自分の感じたものよりももっと、熱量があったり独特のそれらしい感覚があるのだろうと思っていた。

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なのにその時の自分に感じられたのは、"無"というのが近いだろうか。あまりにも当たり前にあり過ぎて、空気のようにその存在を意識できない。ただそこにあるのが当然のもの、そういった種類の感覚で。強く心が動いたりグワッとエネルギーがくる、みたいな感覚がなかったので。自分の意識上では、"これは響かないから必要ない"と思ったブレスだったのだ。

だから「えっ、愛ってこんなものなん!?全てを解決してくれる魔法のような、包み込まれるような温かな気持ち良さや、癒されるような心地良さがあったりするものじゃなくて!?好きでたまらないみたいな心がキュウっとするやつでもなくて?全然普通、めっちゃ地味!!」が正直な感想だった。

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ただ彼女の解説を聞いてから、改めて自分の発言を振り返ってみると。

あまりにも当たり前にあり過ぎて、空気のようにその存在を意識できない。ただそこにあるのが当然のもの。

ああ、たしかに自分にとっての"愛"ってそういうものかも…と思えてきた。そうだ、そうだった。日常の中で無造作に差し出していて、別に意識なんてする必要もない。家事のように、そうするのが当然のことで。そこに強い気持ちなんてなくて、ただ普通に相手のことを思って動くだけ…家族の間でやり取りするような、日常に溶け込みすぎて失わなければ気づかないようなあって当たり前のもの。そうか、これは愛だったのか。

自分ひとりではこの感覚が"愛"のひとつの形なのだとは、全く気づけなかっただろう。

ただ、今になって少しだけわかる気がする。
というのは自分は犬のことをかわいいと心底思っているけれど、「愛しているか?」と言われるとよくわからない。刹那的で強い気持ちはそこにはなくて、淡々と積み重ねられていく幸福な日々があるだけで。"愛"みたいな強い気持ちがそこにあるかどうかなんて、感じられない。

でもたぶん、失った時にハッキリわかるのだろう…という予感はある。そうなった時に空いた穴の大きさで、自分はきっと愛というものの重みに初めて気づくのだ。母の時と、同じように。

そんな日常に溶け込み過ぎて意識できない、あるのが当然で強い感情も疑問も抱かない、なにか。たとえ想像していたものとは違っていても。きっとそれが、自分の持つ愛の形なんだろう。

地味だけど…。



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