ついたち
わたしの母は、月初めに近くの神社に行って、お詣りをする。
それを聞いても、今まで「ふーん」としか思っていなかったのだけど、今はこうやって想ってもらっているんだなあ、ありがたいなあ、と、じんわり胸があたたかくなるばかりだ。
今日は11月1日。全部「1」だから、何か縁起がいいなと思って、書いてみたくなった。
今までとてもひとりで居られる状態ではなく、お金を入れて実家に帰っていたのだけど、最近はひとり暮らしの家に帰る日を決めて、週1回ぐらいの頻度で帰れるようになっている。不安や怖さは今もすごくあるし、日々たたかいだけれど、生きることが怖くて怖くて仕方なかったあの時から比べたら、奇跡だと思っている。
ちなみに今日は餃子と白いご飯と、レンチンでできるたっぷりお野菜のアヒージョ(おそうざい)を買って食べた。
季節はなんだかぐにゅんぐにゅんに動いていて、一瞬香った秋の金木犀の香りが、もうしなくなったのが悲しい。しかもあと2ヶ月で今年も終わりなんだと思うと、焦っても仕方ないけれど、どうしようもなく焦って、暗くなって、心が萎れてくるのがわかったから、もうやめようと思う。
先のことは、もう、ねえ。
今生きてんだから。
餃子とアヒージョ美味しかったんだから。
もう、いいよ、それで。
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あと、今日はT-verで『きのう何食べた』を見た。大橋トリオの『カラタチの夢』という曲がテンポよく、やわらかくていいなーと思って、Appleミュージックでインストールした。
今日は11月1日。本が徐々に読めるようになり、書けるようになった。
書く、ということは、わたしにとって、一種祈りのようなものかもしれない。
ありがとうございます。文章書きつづけます。