承認欲求

最近、よく耳にする言葉。承認欲求。

InstagramやFacebookで、いいね!がたくさんつくことで、自分自身を認めてもらえたという欲求を満たしているという。自己顕示欲のかたまりのような。

確かにね、とは思う。そんな人もたくさんいる。

でも、でも、です。それだけかな。そうでもしないとやっていけない、みたいなところもある気がする。

私は自分自身が週末にたくさんのお料理を常備菜として作り置きしますが、これはやりたい!!というよりも、やっておかないと今週をのりきれないという必要性からやるのです。誰かが理想的な常備菜をたくさん作ってくれるなら、やってほしい。この地域にはタスカジさんみたいな家事代行はないから。

やりたくないな~、面倒だな~って何度も思って、日曜日の14時とかにマッサージの予約入れたりして、そこまでには作り上げようって気合い入れて頑張る。

そんな時、同じように常備菜を、もっとたくさん、もっと素敵に作り上げているInstagramなんかを見る。自分自身でも作り終えたらアップすることを前提に動き始める。そう、そうでもしないと、この疲れた身体は動かないから。

承認欲求だけじゃないんじゃないかと思う。そうやって、自分自身に鞭打って頑張るしかない人もたくさんいる。

そもそも私の場合、知人にはInstagramしてないことにしてるから、フォロワーさんなんて殆んどいないから、いいね!もパラパラつくだけ。でもアップしようとなれば多少なりとも頑張れるわけだし。

それが良いのかどうかはわからないけど、ピカピカキラキラしたSNSの世界の裏側で、そうすることでなんとか踏ん張っている人達がいることも知ってほしい。もしかしたら、お洒落しまくりの子育てママさんも、そうでもしないと子どもと二人でふさぎこんでしまうのかもしれないし。

物事のいくつもの側面を見られるようになりたいと思います。

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