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【日常】2022/05/14 通院後約3日間眠り続けた。記憶は振り出しに戻る②

5/14に書くといって、眠気に勝てず寝てしまった、はるです。
楽しみにして下さっていた方がいましたら、本当に申し訳ないです。
すいません。

そして5/15も見事撃沈しました。すみません。
月に一度の煩わしい日が来てしまいまして(女性ならわかる方が多いはず…)
そんなこんなで5/16の真夜中に書いています。

前置きはさておき、前回の続きを綴っていきます。
ちなみに前回の記事はこちら↓

5/10に記憶がリセットされ、その後3日間眠り続け、やっと目が覚めた3/15の早朝。
今回は5/13の出来事を振り返りつつ、自身の状況を受け入れるまでの過程を前回記事の続きとして綴っていきます。

5/13早朝、誰も居ないリビングで

早朝、5時頃のことです。眠気もある程度なくなって目が覚めました。
なんだかすっきりしていたことを覚えています。
頭が冷静になった分、周囲の環境が目に入ってきました。

知っているけれど、11歳の頃とは違う。

物が増えているし、大人っぽい服や鞄、小物がほとんどだし、身に覚えのない物もたくさんありました。
それは自分の部屋だけでなく、家全体にも言えることでした。

間取りは変わってないけれど、ローテーブルやソファーの配置が変わっていたり、冷蔵庫や電子レンジはスタイリッシュな(笑)ものに変わっていたり。
一番驚いたのは、天井が斜めの屋根裏で物置になっていたところが、普通のお部屋のように改装されていたことです。

17年、18年の間に、変わってしまった。
本当に時間が経っていて、私は11歳ではなく29歳なんだなと…
諦めに似た、形容し難い気持ちになりました。

しかし!それはそれとして、3日もまともに食事を取っていなかったので、軽く食べなければと思い、昨日の残り物であろうおかずをつまんでいました。

誰も起きていない朝のシャワータイム

少しお腹が満たされて、その日何をするべきか考えました。

家族に詳しいをこと聞かなければ。
私が忘れていることでなにか大事なことはないのだろうか。
私はこれからどう過ごせばいいのか。

私はこれからどうなるのか。
このよく分からない病気は治るのだろうか。

考えれば考えるほど分からなくて、考えすぎて頭痛がするほどでした。
なんだか身体も汗をかいてベタベタと気持ち悪い。
3日も眠り続けていれば当然ですが。

頭をスッキリ(身体も思考も)させるため、シャワーを浴びることにしました。
浴室や脱衣所はさほど変わっていなかったので、使っても良さそうなタオルや小学生の頃から変わらないタンスから着替えを取り出し準備して、いざシャワーへ。

少しづつ透かし窓から入り込む明かりが強くなってきて、頭痛も治まってきて…
これが現実。信じたくなくても29歳の時間が流れているのだと感じました。

シャワーを終え、そろそろ誰か起きてくるだろうかという時間。
家族に会うのが少し怖かったです。
この状況を受け入れられるようになってきたとは言え、家族にどう接していいのか分からなかった。
きっと家族も私にどう接していいかと悩んでいただろうと、今なら思います。

18年経った家族は、やはり少し変わっていた

最初に起きてきたのは私のお父さん。
そして…私の記憶にある一番下の妹にそっくりな女の子。

妹にそっくりな女の子は、「妹の実の子ども」でした。
そりゃそっくりだよね。
でも本当に似ていたんです。私が間違えてその姪のことを妹の名前で呼んでしまうくらいに。

姪は今5歳。それなりにこちらの言っていることも理解できる年齢です。
「はるねえ(はるお姉ちゃんの略)、お名前違うよ」
と言われてしまいました。そうだね、ごめんね。

家族の「新しい」を覚えないと家族を混乱させてしまうのではないかと思いました。
ましてや5歳の女の子もいるのだから。

馴染むように、違和感が無いように、溶け込むように。
私が家族に不安を与えないようにするには、なんてことないように振舞うことしかできない。

次いで起きてきたお母さんは白髪が増えて、シワも増えて、機嫌が悪そうに見えました。
最後に起きてきた私の一番下の妹、姪のお母さんは、やはり大人になっていました。
私の記憶では、まだ保育園児で、それこそ今の姪と同じくらいでした。

違和感でぐちゃぐちゃになるのを見なかったことにして、朝食を取りました。

看護師の妹

姉妹の真ん中、私のもうひとりの妹は、看護師さんとして働いているそうです。今はアパートを借りて住んでいるらしく、実家にはいません。
時々帰ってくるからこそ、客観的に私や家族のことを見ていられる立場に居ると考えています。

夜勤明けで眠いだろうに、妹は私の質問にたくさん答えてくれました。

私は病気なのか。
治るのか。
脳の、手術やお薬が必要な大変な病気なのか。
どうして「忘れてしまう」のか。
どうしたら良くなっていくのか。
思い出すにはどうしたらよいのか。

聞きたいことが山ほどあって、質問攻めにしてしまいました。
それでも妹はしっかり話を聞いてくれました。
私の家族は変わらず優しかった。

覚悟を決める

妹の話を聞いて、私の記憶がリセットされるのはこれが初めてではないことが分かりました。
日記や、メモ、twitter、インスタグラム、メール、自分で作った動画、そしてnoteの記事。

読んでも、見ても、話を聞いても、思い出す気配はありません。
だから、見たもの聞いたものをそのまま受け入れるしかないと思いました。
私がこれから不自由なく生活していくためには、きっとこういう時のために書いていたであろう日記などを頭に叩き込んで。

記憶がリセットされて生活もリセットされるのではなく。
たとえ忘れても生活できるように、過去の「私」が今の「私」に残してくれたものを最大限に使って。

「私」が前を向こうとしていた生活を続けていくことが、今の「私」にできることだと思いました。

余談ですが、私が作ったであろうYouTube動画。
考え方が今の私と全く変わっていなくて。
私は私のままなんだ、変わっていない、11歳で29歳の「はる」なんだと、ちょっと嬉しくなりました。

よかったら、見てみてください。
動画は、これからまた作ってみようと思っています。
チャンネル登録してくれたら嬉しいです。
応援してくれたら嬉しいです。
多くの人に知ってもらいたいから、あなたが使っているSNSや、知り合いにシェアしてくれると嬉しいです。

自分で作っただろうに、私が励まされてしまいました。
きっとこれからも、記憶がリセットされたらこの動画を見て、前を向けるようになるんだろうな。

おわりに

5/10~5/13の出来事を前後編で振り返ってきました。
未だに5/10以前のことは思い出せません。
でもそれでもいいかなと、ちょっとだけ思います。

こうしてnoteを書いたり、動画を作ったり、twitterを見たり、日記を読んだり…
思い出せなくても、知ることが出来ます。

私が生きていたことを、生活していたことを、私自身が忘れても、いろんなものに、いろんな人の記憶に残っているから。

その記憶を信じて、また私が生きている証を毎日綴って残していけば、きっと、誰かが思い出してくれる。
私は何度だって受け入れられる。前に進める。

みなさんはこの記事を読んでどんなことを考えましたか?
今は病気もなく元気に過ごしている方も、もし記憶がなくなったら…
うつや適応障害など心の病気を抱える人にとっては、もっと身近なことに感じるのではないでしょうか?

ぜひ、あなたの感じたことを、気軽に教えてください。
ありのままのあなたの言葉で。難しく堅苦しく考えなくて大丈夫ですよ。

最後まで読んでくださってありがとうございました!
また次の記事でお会いしましょうね!

あなたの記憶に、「私」が残っていたら、「私」がちゃんと生きていた証です。 どうか、覚えていてくれますように。