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あなたはあなた

先週末は、ありがたいことにものすごく贅沢な時間を過ごすことができまして。
マリー・キュリー、ジキル&ハイド、米津玄師と、あんまりにも濃密すぎて、仕事の繁忙期で残り僅かなHPすべてを注ぎ込んだ感じです。
どのステージもすばらしくて、気持ちがぶんぶん揺さぶられました。
全力で運動してもう動けないくらい疲れたけど、めちゃくちゃすっきりしたーっ!という。
ちょっと落ち着いてきたので、ひとつずつ感想を呟いていけたらなと思います。

今回は、マリー・キュリーを。

先月、東京で観劇された方々が、大変素晴らしかった!とおっしゃられてるのを見て、このミュージカルを知りました。
題材が、マリー・キュリーとのこと。
幼い頃、割と病弱でよく学校を休んだりしてまして、そうするとたまに母が本を買って来てくれるんですよね。
そのうちの1冊が、マリー・キュリーの伝記漫画でした。
集英社さんの学習漫画・世界の伝記シリーズ。
当時、何度も読み返したのを思い出して、急遽、チケットを購入。
上演時間としては、2時45分程度です。


*以下、ネタバレを避けたい方はそっと画面を閉じてください。


事実と虚構を織り交ぜたミュージカル、ということで、すべてが事実ではないんですけど、史実を下地にうまくつくられてるなぁと思いました。
歌も、評判どおり聴きどころ満載でした。
愛希れいかさんの、若くくるくる音程も落ち着かず、清水くるみさんのアンヌと一緒にころころ夢にうかされて歌い出す女の子から、もがきながらたくさんの後悔と困難をがむしゃらにかき分けて大人の女性へと、歌声が熟していくのもすばらしくて。
清水さんのアンヌは、史実にはいないはずのマリーの友人で、可愛らしくもまっすぐな意志の強い歌声がよく響きます。
あたたかくマリーを愛しむピエール役の上山竜治さんのおだやかな歌声や眼差し、賢くやり手でさらりと貪欲な投資家ルーベンを屋良朝幸さんが妖しく軽やかに演じておられました。
そして、アンサンブルの方々の巧みさ、盤石さ…!

祖国を踏みにじられ、自分の才能と努力を握り潰され、それでも「いつか必ず」と信じて、邁進してきた中で、ようやくその手に取り出した未知の可能性と美しい光。
それでも、女性でポーランド人のマリーは、認められることはない。
マリーという1人の科学者としての正当な評価は得られないけれど、世間はラジウムの美しさにうかれ、祖国の誇りを失いかけていた同志たちや、病気に苦しむ人々を救うこともできる。
もてはやされるラジウムに、マリー自身の存在意義をも背負わせてしまったために、本来なら科学者としてそのデメリットをあわせて検討すべきだったのに、無意識のうちに避けてしまった。
強く純粋な科学への探究心は、未知のものを解明していく、知的好奇心を自分の手で満たしていく麻薬のような快楽も伴います。
悦楽や盲目の中では人は簡単に惑いますし、誤ります。
使い方ひとつで、いのちを救うことも奪うこともできてしまうラジウム。
後世に生きる観る側としては、もうお祭り騒ぎのようにラジウムをもてはやす当時の場面には、背筋にひやっとしたものが流れました。
その一方で、静かに病魔が広がりはじめます。
ささやかな誇りを心に取り戻し、人生に希望を持てるようになったはずが、どんどん体を壊していくラジウム工場のポーランド人従業員たちは、マリーを信じたまま、汚名まで着せられ、犠牲になっていく。
自らも病に侵されながら奔走するも、なす術もなくそのさまに直面しなければならないアンヌ。
マリーがその事実に目を向けざるを得なくなったときにはもう、救えたいのち以上に、本来なら病むことのなかったあまりにも多くの人たちの人生を狂わせてしまっていました。
科学者として、人としての重く暗い罪の意識と、存在価値を失う恐怖。
男性であろうが、女性であろうが、自負の中にどうあがいてもやはり奢りや欲はなくせないし、自分の誤りに真正面から向き合うのは、普通でも本当に難しい。
さらに認めようにもその時代背景や事実の重さが、観ていても苦しいくらい、マリーの状況をどんどん縛りつけていく。
史実、マリー・キュリー本人も、最期までラジウムの危険性を認めることはしなかったそうですしね。
自身がラジウムの危険性を明らかにし、それを上回って余りある活用法を同時に提示しなければ、もはやその存在と一心同体で、もともと危うい立場のマリーごと消され、ひどく貶められる。
そして、ラジウム治療で目の腫瘍と闘う少女ルイーズをはじめ、適切な用法であれば救えるはずの人たちも、救えなくなってしまう。
これは、実際はどうかはわかりませんが、何となく史実のマリー・キュリーも考えたんじゃなかろうかという気がしました。
ただ、この物語のマリーは、アンヌという身近で愛する友人がその身を挺して、マリーの恐れに震える幼い子どものような心を救い上げました。
「怖かったの」というマリーの叫びは、失った多くのいのちを前にして、あまりにも幼稚なものでした。
そんなマリーに、どんなあなたでもあなたはあなた、それで充分だったのだという愛する友人を捨てきれないアンヌの哀しみと、マリーの細い体で背負ってきたものの重さを感じました。
続くピエールの馬車の事故は、伝記を読んだときもショックでした。
そこはミュージカルにも組み込まれていて、畳み掛けるように続くつらい現実に、コップの水が溢れるかのように、ついにマリーの心は限界に達します。
マリーの深い苦悩と哀しみ、ピエールの魂が包み込むようにその背を支えながら前へ押し出す場面に、まわりからたくさん涙を拭う気配が。
慌てて手探りで鞄を開けて、ハンカチを取り出す方もいらっしゃいました。
物語のマリーは、そこから自らの功罪に向き合って生きていくわけですが、そこにアンヌはいません。
マリーの元を離れて生きていくというアンヌの決意は、どうしてだったのかな?といろいろ考えました。
いずれ遅くないうちに工場の友人たちのように命ついえる身だと考えていて、マリーがその自分の姿を目の当たりにし続けてというのは、アンヌの性格上、嫌だろなぁ。
そして、アンヌ自身も、失った友人たちへの思いを抱え、さらに自分の症状も進む中で、目の前にマリーがいるっていうのは、そう簡単に割り切れるものでもない。
もう以前のような関係ではなくなってしまった、大切だからこそ、もうこれ以上は距離をおかざるを得ないということなのかなと。
それでも、生き延び、遠くからマリーを案じて、頑張ったねと救おうとするアンヌは、「どうせ気に病んでるんでしょ笑」「もうほらほら、大丈夫だから!泣かない泣かない!」という感じで、離れていてもちゃんとマリーを理解してくれてるんですよね。
清水さんの愛嬌のある声が、そんな雰囲気にぴったりでした。

そして他方、物語のマリーと道を分かち、ルーベンが突き進んで行った先に見た「プロメテウスの火」は、人の手に余るものでしたが、それを満足そうに、しかしまださらに野心を潜ませて見つめる姿は、飽くなき人間の探求心が身のうちにはらんでいる、ときに冷徹で暗い欲深さそのもののようでした。

当たり前なんだけど、完全に善なるものってないよな、と思いながら、その翌日、ジキル&ハイドを観に行った次第で。
その話は、また後日に。

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