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善良な市民はいずれ死恐怖症になる

私は、「死」についてよく考えます。

で、最近気が付いたことは、

真っ当に生きている人ほど死にたくない

ということです。

ビートたけしの名言

あんまり死ぬの怖がるとな、死にたくなっちゃうんだよ。

1993年映画「ソラチネ」でのセリフ

実のところ、死を一番怖がっているのは希死念慮に苛まれている人たちです。

だから、死にたくなるんですよね。

ビートたけしのこの名言には、そのことがよく表れています。

つまり、普通に善良な市民はその逆で、

普段死を意識していないぶん、死にたくない

ということになります。

当たり前と言えば、当たり前ですよね。

年をとればとるほどに、死にたくなくなっていく

身近な例として、自分の親を見てみましょう。

まだあなたの親が存命なら、子供であるあなたのことを常に心配しているはず。

早くまともな仕事についてほしい。」
早く誰かと結婚して、自分たちを安心させてほしい。」
早く孫の顔が見たい。」

これら小言の根底にあるものは何か?覗いてみたら、

私が死ぬ前に安心させろ

ということに他なりませんよね。

私を散々コントロールしてきた毒両親でさえ、今では結婚のことを口に出します。

あれほど結婚したくないと言っているのに…

仮にこれら全てを達成したからといって、親は安心するのでしょうか?

答えはNOです。

親という存在はどんどん年をとっていき、死が近づいてくる。

死の恐怖をあまり持ったことがないせいで、死にたくない感情が増していくのです。

死恐怖症とは?

ひとが死に至る過程や、存在することが止まることについて考えるときに認識され、心配になるという死の感覚。

Wikipediaより

タナトフォビアと呼ばれます。

死への恐怖は、死ぬことを考えることによって起こると記載されています。

矛盾しているように聞こえるかもしれません。

普段から「死ぬこと」を考えている精神疾患の人は、(感情的に)死にたい場合が多いのに、「死ぬこと」を考える健常者は、死にたくないことが多い。

ベクトルが違うということになりますよね。

  • (精神疾患)無価値感→死にたい

  • (健常者)未知への恐怖→死にたくない

死恐怖症への対処法は?

親に死ぬ前に安心させてほしい、と言われた時の対処法ですが、

いつか〇〇するかもしれないよ?

と言いましょう。

〇〇には就職でも結婚でも何でもいいです。
もちろん、心から思っていなくても全然大丈夫です。

親が未知の死の恐怖を持っているのなら、こちら側も未知の未来予測を提示する。

実際、人生はどうなるかわからないからです。

そういうことは、自分より長く生きている親の方がよくわかっているはずですよね。

それを自分の口から出すことで、相手を安心させることができる、と私は考えます。

善良な市民は死を恐れている。

自分が世界を回しているという、確固たる自信があるから。

精神疾患が言う「死にたい」とは全く違うということを、知って頂けたら幸いです。

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