カンニングは心が弱いからする
進学校で知られる私立清風高校(大阪市天王寺区)の男子生徒(当時17歳)が試験でのカンニング後に自サツしたことが話題になっています。
ヤフー記事でも1万件近くのコメントが寄せられています。
人間は弱い
たまたま隣同士の机が近かったり、答案用紙が自分の方に寄っていて見える位置にあったりすると、人間は弱いです。
見てしまいますよ。
コメント欄で偉そうにしている大人たちも、多かれ少なかれ子供時代に悪いことをしています。
親に嘘をついたり、他人を馬鹿にしたり無意識に同級生をいじめたり。
仮にカンニングはやっていなくても、他人を押しのけて椅子取りゲームに勝っているわけです。
私は、生徒と学校どちらが悪いとかそういう話ではなく、
一般的に悪いとされていることをしてしまう=心が弱い
と考えて、対処しなければならないと思います。
そして悪事を働いてしまった生徒に対しても、「卑怯者」というレッテルを簡単に貼って罪悪感を抱かせるのではなく、「どうしてやってしまったのか?」というメンタルケアを第一に行うべきかと思います。
「死ねばいい」という価値観
この件を例にすると、進学校に進むような人ですから、頭は良いと思うんです。
逆にいうと、頭だけは良い。
だからこそ、自サツしたんだと思います。
自分のような卑怯者は生きていても仕方がない
死んでしまったら楽になれる
突発的に死んでしまったのだと私は思います。
だからこそ、悪いから罰を与えるという教育方法に問題があるのです。
今の子供は繊細ですから、心も弱い。
罰を与えて強くなる神話はとうに崩壊しています。
日本の異常性に気付いた方がいい
「死ねば終わり」という価値観は子どもたちだけに蔓延しているわけではありません。
あなたは普段、人身事故に対してどのように感じていますか?
死ぬ時まで他人に迷惑かけるなよ
死にたいなら一人で死ね
SNSではこういった意見が広く認知されています。
だからこそ、人身事故はなくならない
と私は思っています。
死にたいまで追い込まれている人は、他人の迷惑を考えますか?という話。
むしろ、
死ぬときくらい他人に注目されたい
と思う人もいるのではないでしょうか?
死ぬのは弱い、生きるのは強い
これからの日本に必要なのは、どのような状況でも堂々と生きていくという価値観を広げていくことです。
死んでしまったら終わりですからね。
今回の一件にしてもそうですが、カンニングは悪い、ということに終始していたらダメだと思います。
現代は子供にしても大人にしても精神が未熟ですから、まずは大丈夫だというメッセージを伝えるべきかと思います。
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