【映画感想】映画「ハングオーバー」を見て日本文化のハレとケを考えていた。

皆さんは、「ハングオーバー」という映画を見たことはあるだろうか。アメリカのコメディ映画であり、二日酔いで起きたらホテルの部屋にトラがいたり、誰のかわからない赤ちゃんがいたりとハチャメチャなのだが、持っている手掛かりから昨日の記憶を取り戻していくというお話である。個人的には、弟くんがマイクタイソンにビンタされるところが好きだ。

見たきっかけは、ラランドのサーヤがよく「ハングオーバー」ぐらい酒を飲むという比喩をするのだが見たことがなかったからである。ラランドはかなり好きなのだがこれからこの比喩を聞いたとき、はいはい知ってますよと思えるのはちょっとうれしいのである。

「ハングオーバー」では、仲良しな親友仲間の一人が結婚するということで最後のラスベガスへ独身旅行をするというものである。つまりは、最後に羽目を外しにラスベガスへ行ったのである。

これを見ながら当然なのだが、アメリカ人も日本人も羽目を外したくなるのだなとこれって世界共通なのだと再認識させられたのである。

渋谷のハロウィンや北九州市の成人式など若者が少々羽目を外すことをいわうる大人は批判的になる。恐らく批判している大人というのは一部なのだろうけれども、正直税金も高く、高齢者ばかりで未来もどんよりしている国でこれから何十年生きていかなければならないのだからやらせてやればいいのではないだろうか。「ハングオーバー」の義父は高い車を貸してくれたのだ。これぐらい優しくなってほしいものだ。

話は脱線したが、日本の「ハレとケ」という考えはまさにたまに羽目を外すことを言い表しているのである。日常を「ケ」つまりは、穢れとして、祭りなどや正月などを「ハレ」の日としてお祝いしていた。今ではほとんど丸くなっていった各地のお祭りも元々はかなり過激であったものが多い。

さらには、その日は婚外交渉のようなものも行われていたようである。だからこそ、その日に向けて日常を慎ましやかに生きていくのである。

現在では、そのような「ハレ」という感覚がなくなっている。つまらない毎日を耐え忍ぶだけとなっているのである。その逃げ道として、マッチングアプリを代表とする「性」への発散を求めていく人々がいるのではないかとも思える。クラブへ行くというのは少数派ではあるだろうが、それも一つの選択肢であろう。そのように少々、日常から少し離れて自分のバランスを保つというのは厳しい社会で生きるには非常に大切なことである。

最後に、日本のクラブの男の恰好ってダサいと感じているのは私だけだろうか。やっぱり、男はスーツが似合うから、もう少しフォーマル寄りがスタンダートになってほしいと心から願っている。
もしかしたら、すすきののクラブにいるやつがダサいだけかもしれないのだが。

おわり

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