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宝島のオイルショックの話

2018年、全国的なニュースにもなった。宝島への重油の漂着。

これは、宝島を揺らした。当時のことを書かせてもらった記事では、きれいにまとまった感があるが、実際は深刻だった。

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重油漂着の裏側で

パートさんの一部は、高給な重油の回収作業に参加する。常勤の出勤簿は真っ赤だ。夜勤の連日勤務を含め、日中も人が確保できない。休めない日々が続いた。

追い討ちをかけるように、風の噂で事業所への不満が聞こえてきた。各家庭の経済活動にどうこういうつもりはなかった。ただ、作業に参加しているパートさんにも、こちらの過酷な勤務の状況を伝えた。何年も一緒に働いてきた仲間だと思っているから。でも、想いとは裏腹な状況になっていた。所詮、噂話と割り切り、割り切れないことを諦めた。

タミ子さんの利用開始

苦しい日々が続く。その頃利用が始まったタミ子さん。僕らは、当たり前のように、利用前からその方と関わり、利用の有無に関わらず、生活者としても関わってきた。それが、僕らが大事にしてきたことでもある。

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プランを作成したが、たびたび役場から修正が入る。役場が思うところへの理解はしようと試みるも、管理的なプランを強制された感覚だった。何を思って、僕たちに委託していたのか。役場に対しても、諦めた。

色々な事が重なり、限界を感じ始めていた。目指す方向性が違ってきたのだろう。言い聞かせながら。

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