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国旗と地図から出版年を推定しよう!【解答編】

一昨日に投稿したのは、ちょっとしたクイズだった。国旗一覧からの出版年の推定。

その終わりに、わたしはこのように書いていた。

書きたいことがありすぎて気がつけば6000文字を超えてしまった。これは別エントリにわけないと、とても読んでもらえそうにない。そう判断して、まずはここまでを【問題編】として投稿することにした。解答編はこの週末にでも。

というわけで、ここからがわたしなりの解答。分割したとはいえ、やっぱり長い。長いので目次つきにする。

◆◇◆

16の国旗からうかがえる時代背景

いまの国旗と違うデザインのものがある。まずはこれらに注目すれば良い。意外とたくさんあるので、以下に4つずつ、合計16ほどをぬきだして説明する(現行旗もふくむ)。斜めに撮影した写真からの切り抜きのため、角度がバラバラなのはご愛嬌。

まずはイスラーム圏からアフリカの旗。

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①まずは、最近その情勢が話題になっているアフガニスタン。タリバン政府による正式発表はまだないけれど、報道では白地に黒文字の旗がよく映っている。これはわたしが8月に書いたとおり。

この地図にある黒白緑の横三色旗は、だいたい1992年から1996年ごろまで使われていたゲリラ組織政府の旗。1996年以降のタリバン政権を認めない国が多かったので、2002年まで使われていたとも言える。

②リビアがかつて緑一色の旗だったことは、最近の子供たちは知らないかもしれない。アラブ共和国連邦を解体し、カダフィの目指す”緑の革命”のシンボルカラーになったのが1977年。そのカダフィ政権が倒された2011年に、かつての王国時代の旗🇱🇾が復活した。地図には緑色の旗が載っているので、1977〜2011年のあいだということになる。幅がありすぎて、これではあまり絞り込めないか。

③旗が変わったことで有名なのは南アフリカ。この地図の旗では、橙白青の横三色旗の中央に3種類の旗が描かれたデザインになっている。人種隔離政策(アパルトヘイト)時代のものだ。1994年にマンデラ大統領が就任し、現在の6色横Y字旗🇿🇦になった。だから、この旗が載っている時点で1994年以前ということになる。

④南アフリカに関連して、その南アフリカから独立した国がある。かつて南西アフリカと呼ばれていたナミビアだ。ナミビアが独立したのは1990年。このナミビア国旗🇳🇦が載っているので、この地図は1990年以降のものだ(※現在も使われている旗なので、前回のタイル状コラージュにはなし)。

ここまでで1992〜1994年あたりが考えられる。つづけてアフリカ大陸と周辺の島国の旗。

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⑤ザイールは、国名も変更されたので、知らなければわからないかもしれない。現在のコンゴ民主共和国だ。現在の旗🇨🇩になったのは、2006年。その前に別のデザインの時期がある。ザイールの国名でこの緑色に松明が描かれた旗を使用していたのは1971〜1997年のこと。

⑥そして、ちょっとまぎらわしいのだけど、そのコンゴ民主共和国(旧ザイール)の西どなりにコンゴ共和国がある。この国は1991年まで社会主義のコンゴ人民共和国。国章の一部を入れた赤い旗をつかっていた。ここには現在の斜め三色旗🇨🇬が載っているので、1991年以降ということになる。

⑦そのコンゴ国旗のとなりに掲載されているコモロ国旗も参考になる。コモロはインド洋にうかぶ島国。フランスから独立後、何度か国旗が変わっている。5色つかわれている現在の旗🇰🇲は2001年からのものだけど、それまでは緑に白で三日月と4つの星が描かれたものだった。ただ、この月と星の向きが変わったり、文字がくわえられたりした時期があり、この斜め配置のデザインは1978〜1992年のもの。

⑧アフリカ大陸の西側にも国旗が変更された国がある。カーボベルデは現在は青地に白赤白の帯と10個の星が描かれた国旗🇨🇻だけど、かつてはギニアビサウ🇬🇼に似た国旗だった。新国旗は1992年9月に制定されたので、旧旗が描かれている時点でそれ以前ということになる。

この4か国からは1991年か1992年に絞りこめそうだ。お次はアジア。

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⑨東南アジアのカンボジアが見慣れない旗だ。現在のアンコールワット遺跡が描かれた旗🇰🇭は1993年からのもの。この青地に白い地図と文字が描かれた旗は、内戦後の1991年、パリ和平協定が結ばれたあとのカンボジア最高国民評議会の旗だ。

⑩ミャンマーも旧国旗が載っている。国名もかつてはビルマと呼ばれていた。現在の国旗🇲🇲になったのは2010年と比較的最近。旧旗は、1974年以降、体制が変わってもしばらく使われ続けた(国章は変更)。

⑪おもしろいのが中央アジアのタジキスタン。なんとソビエトのシンボル、鎌とハンマー、そして五芒星が描かれている。ソビエト連邦(ソ連)崩壊は1991年末。ソ連崩壊とともに独立したタジキスタンはすぐに内戦が起こって混乱したため、しばらくはこのソ連の構成共和国時代の旗が使われていた。書籍によっては、鎌とハンマー、五芒星を取り除いた旗とされているケースがある。現在の国旗🇹🇯は内戦中の1992年11月に制定された。

⑫よく見るとこのモンゴル国旗も現在のもの🇲🇳とは異なっている。ソヨンボ(黄色で描かれた図形)の上に星がある。これは社会主義のモンゴル人民共和国の国旗。モンゴルの民主化は1992年の2月だから、それ以前ということになる。

ここでもだいたい1991年か1992年。1992年の早い時期のモンゴルの政変が反映されていないのが気になるところ。こんどはヨーロッパ。変わってしまった国も旗もおおい。

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⑬最近のオリンピックでも、その政治体制と情勢が報道されていたベラルーシ。この国も現在の国旗🇧🇾と異なっている。ベラルーシもタジキスタンとおなじく旧ソ連の構成共和国のひとつ。ソ連崩壊後に使われた白赤白の旗は、ソ連にくわわる直前に短期間使われていた旗だ。欧州最後の独裁者と呼ばれているルカシェンコが政権をとった翌年の1995年、現在の国旗に近いものに変更された。

⑭ボスニア・ヘルツェゴビナも現在の国旗🇧🇦とおおきく異なる。冷戦時代には中立的な立場をとっていた社会主義国ユーゴスラビアの構成国だった。この白地に国章を置いたデザインは、独立した1992年から1998年まで使われた。内戦を経て、そののち特定の民族色を排除した現行デザインに変更された。

⑮見慣れない旗が描かれているのはアルバニア。この国は伝統的に双頭の鷲をあしらったデザインの国旗🇦🇱をつかってきた。社会主義時代は双頭の鷲の上に黄色い縁取りの星、それ以前には中世の伝説にちなんだ兜を添えて描かれたこともあった。

ところがここにはシンボルの双頭の鷲はなく、単純な赤黒赤の帯だけになっている。アルバニア国旗として、この旗が描かれた書籍は、わたしは持っていない。果たしてこれは本当なのだろうか。

以下の写真は、オランダのシップメイト社のフラッグチャートを撮影したもの。ここにこの旗がある(2段め中央)。じつはアルバニアの商船旗だ。

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アルバニアもほかの東欧諸国と同様に1990年以降、民主化にともなう混乱がつづいた。非共産化したのは1992年4月。おそらく地図の版を決める時期がアルバニアの混乱期で、正確な情報が得られなかったのではないだろうか。やむなく商船旗が掲載された可能性があるんじゃないかと思う。

⑯第二次大戦後にできたユーゴスラビア連邦人民共和国は、1980年以降不安定化し、1992年に解体した。ソ連のように構成共和国がバラバラになるだけではなく、分割のあり方についての混乱と紛争がつづいたので、この地域の歴史はとても複雑だ。

現在はユーゴスラビアという名の独立国は存在しないのだけど、この地図には載っている。これは現在のセルビア、モンテネグロ、コソボの範囲に相当する。この旗は1992年に解体した連邦の旗から、中央の星を取り除いた横三色旗。モンテネグロが独立する2006年まで使われたけれど、国名がユーゴスラビアだったのは2003年まで

この4か国の旗では1991年というのはなさそうだ。というわけで、1992年がもっとも有力。

民主化ブームと混乱期の誤情報

まだまだ拾いきれていない国がある。ここまで見てきた16の国ぐにの歴史をふりかえれば、社会主義国の民主化にともなって新たに独立した国や、体制が変わって国旗が変わったケースが多いことに気づく。

地図の東欧部分をみると、現在のチェコとスロバキアがチェコスロバキアとしてひとつの国家になっている。これは国旗一覧を見ていても気がつきにくい。チェコとスロバキアが分離したのは1993年1月1日。

それまで民主化に消極的だった東ドイツで、ベルリンの壁の崩壊という象徴的な出来事があった。1989年のこと。そのドイツは、この地図ではもう統一されて、東ドイツという国家は存在していない。そして東欧の民主化の波は、なし崩し的に進んだ。

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上にも書いたけれど、1991年末のソ連崩壊の影響はとても大きかった。旧ソ連の構成共和国が独立し、ほかの社会主義国もつぎつぎに体制が変わっていった。

ロシアでは民主化にともなって改名された都市がある。この地図にはソ連はなく、ロシアをはじめ構成共和国が独立国として描かれている。改名直後だったのだろう、サンクトペテルブルクやエカテリンブルクは、ソ連時代の地名が併記されている。

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ヨーロッパ部分の地図からわかるのは、ユーゴとソ連が崩壊したあとで、チェコスロバキアの解体前ということ。そうすると、やはり1992年が正解だ。

国旗のデザインにもいくつか混乱が見られる。上のアルバニアの商船旗もそんな混乱の結果だろうけど、間違った旗や不正確な旗がいくつかある(いまとなってはオモシロ画像?ある意味、貴重な出版物かも)。ふたつほど紹介する。

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⑰カザフスタンは現在のテュルク系らしいカッコいい国旗🇰🇿とはまるっきり違う。この旗は、おそらく新国旗の候補のひとつが元になったのだろうけど、のちにFOTW(旗の研究者の情報交換サイト)で誤情報だと指摘されている。

⑱マケドニア(現在は北マケドニア)の旗もかなりおかしい。この国、そもそも隣国ギリシャから旗のデザインと国名にイチャモンをつけられて、どちらもしぶしぶ変更したかわいそうな国だ。現在は国名は北マケドニア、国旗は旭日旗のようなデザイン🇲🇰になっている。

ユーゴ解体後に決められた旗にあったのはヴェルギナの太陽。古代ギリシャの遺跡からも出る伝統的な太陽の意匠で、ギリシャのマケドニア地方の旗にも使われている。以下のリンクは、意匠についてまとめられたsymbolsageというウェブサイトから。サムネイルに見える放射状のものがヴェルギナの太陽。

ギリシャの人びとの立場では、ルーツのことなる南スラブ人国家にマケドニアの名称とシンボルを使われるのが不愉快らしい。それで1995年に国旗のデザインが一新された。この世界地図のものは、その変更後のもの(現在の国旗🇲🇰)ともまったく違う。

問題の地図にある二重になった太陽と光輪のような図形も、FOTW誤情報と報告されている。それによれば、独立直後にヴェルギナの太陽の旗の前のデザインとして英国のポケット図鑑に載ったらしい。ところが事実関係の確認がとれないという。政府筋のリーク情報が伝言ゲームで誤情報につながったか。

ヴェルギナの太陽がギリシャとのあいだで問題になるのではないか。こういう共通認識が、欧米のジャーナリストや出版関係者のあいだであったとしたらどうだろう。ギリシャ側に配慮してヴェルギナの太陽をつかわないのではないかとの憶測が招いた誤情報だったかもしれない。考えすぎかもしれないけれど、わたしはその可能性もあるんじゃないかと考えている。

ちなみに問題のヴェルギナの太陽、地方自治体レベルだと、ギリシャ側に対抗して(?)北マケドニア側でも負けじとつかっているところがある。下の写真は、2015年の『世界「地方旗」図鑑』(苅安望著、えにし書房)より。左がギリシャ、右が北マケドニアの自治体旗の一部。

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このマケドニアの名称とヴェルギナの太陽をめぐる話、日本でも暖簾分けしたお店が屋号をあらそったりするけど、それとちょっと似ているかもしれない。それならギリシャのほうこそ「元祖マケドニア」とか名乗ればいいのにと思ってしまうけど、それで済むような話でもないらしいから、むつかしいものだ。

国旗の変化を可視化して年代推定

さて、余談がすぎてしまった。出版年の推定にもどる。16の国旗とヨーロッパの地図から、どうやら出版年は1992年らしい。

上にあげた16の国旗はほんの一部。現在の国旗とは異なるもの、あるいは国自体が異なるものをざっとあげてみたら、50あまりあった。国章の有無などのバリエーション、図版が不明瞭なものやカザフスタンやマケドニアなどの誤情報を省いてもそれだけある。上の16カ国の調子で残りの国ぐにについて書き続けたら、いったいあと何回続ければいいのやら・・・というほどだ。

下のグラフは、旗の使用期間をまとめたもの。この世界地図の国旗一覧のデザインの旗について、書籍などで調べた。とりあえず1980年から2020年までの間に限定。この40年のあいだに旗が変わった国を順不同でぬきだした。不正確なところ、ずっと変わっていないところは省いてある。

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どうだろうか。こうしてならべると、ソ連崩壊直後の1992年に重なりが多いように見える。1992年部分をハイライトするとわかりやすい。

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これは年の単位でグラフにしたため、1991年と1992年でくっきりわかれてしまっている。ソ連やチェコスロバキアはピッタリと年号が変わると同時に国が変わったけれど、そんなケースは少数派。実際はほとんどの国で、その年の途中のどこかで変更がある。たとえば、モンゴルが民主化したのは1992年の2月21日。星のついた国旗のモンゴル人民共和国は、1992年は2ヶ月弱だけ存在していた。

このように、仮に月単位でグラフ化すれば、もうちょっと重なりが見えてくるだろう(面倒なので月までは調べなかった・・・)。ソ連崩壊直後の混乱期で情報収集にタイムラグがあったこと、当時はまだ紙ベースでの情報が主流だったことを考慮すると、1992年の早い時期というのがこの世界地図の出版時期と考えるのがもっとも合理的だ。

このグラフから、最後に2か国の国旗についてつけくわえたい。これまで触れてこなかった中南米の国ぐにの、ひそかにマイナーチェンジされていた国旗。

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⑲まずドミニカ国。ハイチの隣のドミニカ共和国とは異なるので要注意。ここだけ掲載旗の使用期間が1990年まで。2年ほどずれている。これはどういうことなのだろう。

ご覧のとおりの複雑なデザインの国旗なのだけど、鳥の周囲にある星に黄色い縁どりがあるのがわかるだろうか。大半の国旗関連書籍で、この縁どりをなくす微修正がされたのが1990年となっている。ところが、マイナーチェンジはなかなか浸透しないのが世の常だ。政府機関が掲げる旗に微修正がされても、民間すべてに反映されるとは考えにくい。

数年前に実際に当地を旅行した旗章学者に、そのときの写真を見せてもらった。見事に縁どり有り無し両方の旗が混在していた。

この世界地図のドミニカ国の旗は縁取りバージョン。ここはこの地図の情報がドミニカ国旗のマイナーチェンジに対応していなかっただけ、と考えるのが自然だろう。

⑳もうひとつは、掲載旗の使用が1991年までとなっているブラジル。国旗の中央にあるのは天球儀。天球儀には「秩序と進歩」の文字列があり、星々が描かれている。この星は米国旗とおなじように国を構成する州(と首都)の数だけ描かれている。米国と異なるのは、それぞれの星が対応する州が決まっているところだ。この星が23から27に増えたのは1992年5月。

グラフにする便宜上、1992年からを現行国旗としたので前国旗が1991年までしか使われなかったかのような表記になってしまった。モンゴルと同じケースだ。

そういうわけで、地図の出版がブラジル国旗が変わった1992年5月以前とすれば説明がつく。

不正確情報ということでグラフからははずしたけれど、商船旗が載っているアルバニアの政変は1992年4月。版の締め切りと情報タイムラグから察するに、やはり1992年の第一四半期あたりが最有力だ。

約30年前の地図が教えてくれたこと

この世界地図、じつは書店の丸善の値札が貼ってある。わたしの記憶では、京都か名古屋の丸善だと思う。高校生か大学生か、そんなころに書店で見つけて買ったのだろう。丸善では、洋書のワゴンセールがしばしば催されていた。わたしは掘り出し物を探すのが好きだった。

未曾有の政変ラッシュの1992年。最新情報を可能なかぎり集めた結果の世界地図と国旗一覧。あとになってみれば誤情報もあったけれど、かえってこの混乱期に最新情報をまとめようとした、編集にかかわった人たちの努力と情熱が伝わってくる

そして、いまと違って当時は情報がデジタル管理されておらず、アナログで収集・管理された情報をもとにつくられている点。これを再認識できた意味はおおきい。

現在のネットや書籍の情報は、情報収集に限界のあった時代の産物の上になりたっている。古いものになれば確実に、もとをただせばアナログ時代の情報なのだ。そうなると、デジタルだからと鵜呑みにするわけにはいかない。やはり、可能なかぎり一次情報にあたって検証することは重要だろう。

地図と国旗からいろいろ調べるのは楽しいからと書き始めたこのnote記事。かなり長くなりそうなので【問題編】と【解答編】にわけた。やや冗長ではあったけれど、いろいろ引用しつつ解答編を書いた。加筆するうちにとっくに7000文字も超えてしまった。わたしのnoteでは最長だ。簡単で便利なネット検索に慣れてしまったわたしに、なにか大切なことを教えてくれた世界地図だった。

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