ほとんどのことは「当事者」でなければ分からない
こんにちは、Yusukeです。
メンタリストDaiGoさんのホームレスの方に対する発言が炎上しましたね。
今回の一件とは別ですが、私は彼の考え方やキャラなどは好感を持っています。
主義や思想、価値観は自分の中にしまっておくだけなら何も起こらない。
それを言葉や態度、表に出してしまうと問題になってしまう。
自分の中にしまっておくだけなら「偏見」で終わり、表に出してしまうと「差別」になってしまいます。
DaiGoさんに対する様々な意見が飛び交っていると思いますが、彼は率直に話の流れでヒートアップし、口にしてしまっただけだと思います。
炎上マーケティングではないですね、やる必要ないですもの。
今回の記事はDaiGoさんの言葉から出てしまったように、物事は「経験してみないとわからない」ということ。
人は自分以外の何者でもない
サービス業などでは「相手の立場になって」などの言葉を使ったりします。
当たり前のことなのですが、結構難しい。
自分以外の人間になれないのですから当然です。
これは家族、恋人など親しい間でもです。
自分自身は他人と違う、他人にはなれないことをちゃんと理解している人は意外と少ないと思います。
理解している人は関係構築上手く、対外的に受けるストレスが少ない傾向があると思います。
当事者という「体験」が必要
ホームレスの方への偏見は多くの人に内在していると思います。
表面上では「怠惰」のような固定観念が先行し、彼らの今に至った経緯、心の状態などはほとんど加味されません。
「ホームレスの方の立場」になって考える、福祉活動をしてしていなければしないでしょう。
つまり「当事者」にならなければわからないということです。
知的障害の親、うつ病患者、いじめを受けた本人、自分が見聞き、受けた影響、全ては「体験してみないとわからない」ということです。
DaiGoさんの一件を例に挙げてみると、猫の保護については彼は当事者、ホームレス問題に関しては非当事者です。
当事者でない、興味が向いていない分野に対しては無知であり、感情は入りにくいです。
「体験してみる」という学びを習慣化する
子供の頃にはこの感情は無限に湧いて出てきたような気がします。
大人になるといつの間にか薄れ、なくなってしまう場合もあります。
維持継続していくのは至難の業、どうすればいいのでしょうか。
結論、仕組みに組み込むこと「習慣化」です。
学びが深い人は習慣に組み込んでいるケースが多いです。
それほど人の意思は弱いと思います、私もザコの極みです。
体験は人生において学びとなります、同じ知識量でも体験がなければ知識を活用することができなったりします。
当事者になることは学びになるということです。
当事者でないことを発信する時は注意が必要
「炎上する」ことは色々な意味を持ちますが、私はアンチコメントは基本的に持たないので、SNSに誹謗中傷することはないです。
今回の場合は頭のいいインフルエンサー、かつ炎上覚悟での発言でした。
何かの社会実験みたいにとらわれてもおかしくありませんね。
当事者でないこと、知識や体験がなければ説得力はありません。ただの差別発言と捉えられる可能性も高くなります。
有名なインフルエンサーだったら、再度撤回、謝罪なども発信できると思いますが、我々一般人には無理があります。
簡単に多くの人を傷つけられる現在、発信には本当に注意が必要です。
当事者でなければ言葉を整理し、わかりやすく、相手に伝わるように、さらにまずは「傷つけないよう」にすることが必要です。
では、また次回。
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