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平昌からの激動

【760】

もうあれから4年か。ふと、かつての自分のことを思い出した。

心は死んでいた、途方に暮れたあの頃の僕のこと。何のために生きているのか、この世に存在するのかってやけに壮大なことを考え苦しんでいた。
追い込まれて、それでも逃げることなく生きるしかない選択肢の中で。

大袈裟な話ではなく、本当に絶望感に苛まれていたあの頃。
信じた自分が悪いし、今になっちゃなんの恨みっこもない。でも、やっぱり関わりたくも会いたくもない。そんな人がやけに多くなった。

勘弁してくれ。もうごめんだって。

平昌冬季五輪が開催された4年前。
日本選手たちは皆、輝きを放つ笑顔と喜びの涙を流していた。女性アスリートの活躍は特に目覚ましく、僕自身も大好きなカーリングチーム《ロコ・ソラーレ》は最終的にミラクルショットで銅メダルになった。もぐもぐタイムが話題になったのはもう4年前になるってことになる。

とにかく時間が過ぎるのは本当に早いと感じてしまう。

30代から40代に入っているけれど、思いの外さほど老け込んでいない自分の姿とは対照的に人生という年輪は細かに歪に刻まれて来た。
それがこの期間だったように思っている。

”まさか”ここまで変化することがある?と自分自身が1番驚いているのだから。性格的に変化を好むと言うよりも、現状に甘んじるのが好きじゃないだけで。それがいつしか無謀にも自分の感覚を頼りに旅するように彷徨って漂って今ここまで来たのだけど。

自身の甘さが招いた事態だったと今なら思える。
どこかで判断を他人に委ねたからどうしようもない状況を招いたのだから。やっぱり信じるべきは自分自身で、本当に大切にならないのも真新しいものではなく、確かな信頼がある人のことなんだって学んだ。それが4年前の今頃だったな。

家族を持つ人間だと自覚していたら、リスクは極力ない方がいい。家族に迷惑をかけるとか、子供に苦労を掛けてしまったからそれを余計に感じている。
なんだろうか、やけに苦い記憶だらけだった自分と対照的なアスリートたちの姿が全く関係もないのに面白くない気持ちになっていた。

無理やり見ていたカーリングの最終戦をテレビで一人見て静かに見ながら涙してた。
その涙は感動なのか、羨ましいと羨望の眼差しで見る悔し涙か。
やけに泣いて泣いて泣いていた。

昼間に自宅にいて、ぼんやり持て余すような有休消化の時間。知らずに勝手に涙が溢れて毎日途方に暮れてばかりだった。

アスリートたちの輝きは希望の光だったのに。それすら素直に受け取れない僕はどれだけ最低な臆病者になっていたのだろうと思う。
きっと情けない顔していただろうな。
きっと、そうだろう。

すがるように居場所を確保して、単身で県外に行ったのはそのすぐ後のこと。
1年で帰郷した理由は家族のことがあるけれど、当時の僕にはあれ以上頑張る体力は残っていなかった。そう思う。

戻ってきた静岡で3ヶ月で勤め先との信用問題で関係を解消し、ホテル勤めした2年間は入社半年で今なお猛威を振るうウイルス感染症がやって来て、やがては休業、株式譲渡で別会社になり転職。
そして今は、再びウェディングの仕事へと復帰した。

noteを始めたことでたくさんのご縁が出来たり、自身の持ち味を得ることも出来た。なんならちょっとしたブランディングにもなったのがこのnote。

子供たちは順調に成長し、高校や専門学校へと入学と卒業していった。たかだかこの年月で、こうも自分を取り巻く環境も関わる人たちも変わっていくものだろうかと思う。
大切な人だけがしっかりと残って、関係性はスリムになった。
不要なものを振り払う術を身につけて、過度なストレスは自分の体内に宿すことはやめようと理解した。

また冬季五輪の年になった。
熱狂からかけ離れた今の時代に、勇気と感動を僕らに与えてくれるのはそんなアスリートたちの全力で躍動する姿。

かつての僕の心は死んでいた。死んだ心には歓喜などやっぱり訪れやしないはずだから。生きて生きて、なんとか半歩でも前に進んで停滞だけはしないように。

彼らの本気に今の僕なら勇気を受け取るだろう。そして引き込まれる感動の渦に吸い込まれていくだろう。
平昌なんてそんな遠くない世界がやけに眩しくて見ていられなかった弱い自分。あの頃より少しは強くなれたんじゃないかな。そうであればいい。

Instagramは控えめに4年前の投稿を残す。

文字数も少なく覇気もない僕の投稿コメントと共に。
なんだかそんな自分が目の前にいたらぶん殴ってでも立ち上がらせるのにな。
そんなことしてる場合じゃないぞってさ。

サポートして頂けるなんて本当に感激です。その気持ち、そのひと手間に心から感謝します( *´艸`) たくさんのnoteから見つけて下さりありがとうございます!!