見出し画像

🍥芽キャベツのおぺぺ🍥



芽キャベツが出回りはじめ、店頭にコロコロと並ぶのを眺めていると、そろそろ春だねェ…などといった、枯れた喜びが全身を包み込む。

私は、思わずその場に膝をつきこうべを垂れ、芽キャベツを育んだ大地へと感謝の歌を捧げた。

嘘である。

いくら何でも、家族連れで賑わうスーパーの床に突如としてひざまずき、慈愛に満ちた眼で歌いはじめるほど私の頭はイッちゃってはいない。何よりも、頭が春爛漫おはなばたけになった父の姿は、娘の人格形成に大きく、そして悪いほうの影響を与えるにちがいない。喉元まで湧いてきた喜びの曲はぐっと呑み込んでおこう。

早速、芽キャベツを連れて帰り、ベーコンとともにパスタにすることにした。あるいは、ベーコンとパスタにするために連れて帰ったのかもしれない。

ひと月の塩漬け後に燻製し、そしてチルド室でひと月忘れて熟成いたベーコンを使っていく。

腐敗するどころか、とても芳しい熟べーコン


自家製のベーコンを弱火にかけると、信じられない量の油脂が滲み出てくる。それも、とびきり味わい深いやつだ。

自らの油で揚げ焼きにされるベーコン


カリカリになったベーコンを取り出し、この燻製豚イケナイ油で芽キャベツを焼いていく。


ベーコンの油を泳いだ芽キャベツの断面に浮きでた焼き目のまばゆさに、私は思わず目をしかめた。

細波さざなみにきらめく黄昏の斜陽よりも、巧みにブリリアントカットを施された宝石よりも、フライパン上の茶色い焼き目のほうが私にはキラキラと輝いてみえる。

以上のような、メイラード反応の焼き目に異様な執着をみせる状態のことを、

焼き目偏執狂メラノイジニズム


という。

また嘘をついてしまった。

ミニ大葉ペリーラを散らして完成


ひと口食べると、たくさん嘘を吐いてがらんどうになった腹に、じんわりと陽が差し込んでくる。どうりで芽キャベツの花言葉は「小さな幸せ」なわけか。

芽キャベツを噛み締めるたびに、豊かな甘みが口いっぱいに拡がり、とても甘く、えも言われぬ甘さがあり、どこか甘く、そして甘い。

ベーコン、にんにくとともにフォークで刺し、パスタ巻き込んでビールで流し込む快感たるや、もはや非合法イリーガルのそれである。

蛇足だが、芽キャベツの栽培に興味がでて検索すると、何だか「思っていたのとちがう」生えかたで息を呑むと同時に、激しい既視感デジャヴュに襲われた。

記憶の糸を手繰り、その正体にたどり着いて愕然とする。

慎重に芽キャベツを運ぶN・ケイジ

あのマイケル・ベイ監督の大作「ザ・ロック」に出てくる、恐怖の激毒カプセルじゃないか。
そのカプセルの中身は、ごく僅かでも人を死に至らしめるVXガスである。


いいか…よく聞け…芽キャベツの正体は「小さな幸せ」なんかじゃない…

悪夢ナイトメアだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?