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通勤ラッシュのオアシス

朝7時半の電車に乗るのはいつぶりのことだっただろうか。

運転免許証の更新が予約制になったのは今年2月1日からだそうだ。新宿の免許センターが最寄りだったが、あいにく都合のいい日時に空席がなかった。仕方なく電車で40分ほどかかる東陽町の江東運転試験場の朝8時半の枠を予約した。

代々木公園駅に到着すると、ちょうど電車がホームに停車していた。改札最寄りの車両は女性専用で、チラと目を向けると本当に女性ばかりが扉のところまでぴったりと乗っていた。そのひとつ先の車両まで軽い駆け足で向かい、主に男性がひしめくひとつの扉から、人の海に身を押し付けた。強固な反発にあいながらも、私はそれに負けじと身体をねじ込んだ。

ほどなくしてドアが閉まった。がたんと音がして電車は静かに動き出した。あんなに無理矢理乗車したはずなのに、私の身体はすでにぴったりと人混みに馴染んでいた。

車内の様子は瓶入りのホワイトアスパラガスを思わせた。不揃いなものがぎっしり収められているからだろう。そこには秩序さえも感じられる。

代々木公園から大手町の間は、どの駅においても幸いなことに乗る人よりも降りる人が幾分多かったので、車内には少しずつゆとりが出てきた。とはいえ混雑していることには変わりなかった。みんなどうしてあんなに暑い中アウターを着たままでいられるのだろう。私は乗車前に脱いでいたが、それでも暑かった。

あんなにたくさんの人が乗っていたのに、車内は終始静かだった。みんな本当にホワイトアスパラガスになってしまったみたいだった。

大手町で東西線に乗り換えるために下車。乗り換えホームまで続く細い通路は、車内以上に静かだった。皆頑なに左側通行を守っていた。どこにおいても左側通行は遵守されている一方で、歩きスマホは多くの人が気にせずしているのはなぜだろう。


東西線のホームに到着する直前、通路同士が直交する小さな“交差点”のような場所があった。それまで整然と左側通行を守っていた人の列は、ここにきて急に乱れた。四方からくる人が、そのまま直進したり急に曲がったり、出会い頭にぶつかりそうになりながらすんでのところでよけたり…そこには小さく不規則な“渦”ができていた。

不揃いなホワイトアスパラガスである人々が、瓶にぎちぎちに詰められて、工業製品のように取り扱われるこの通勤という儀式において、その“渦”は、一見非合理的に見えるが、実は密かに皆のオアシスになっていた。ただし、そのことに気づくのは、私のように普段はホワイトアスパラガスになる必要のない人だけなのだ。

社会人の時は会社から徒歩圏内に住んだり、通勤ラッシュ前に出勤したりと、うまいこと通勤電車を避けて生活していた。大学生の頃は郊外に住んでいたので始発で座れることが多かった。だから今までの人生で通勤ラッシュが日常になったことはない。今でも避けられるなら避けるようにしている。

それでも今回のようにどうしても通勤電車に乗らなければならないことは稀にある。そんな時はいつも、人々がこれを毎日受け入れていることに心底驚かされる。もちろん、乗りたくて乗っている人はほぼいないだろうが、私だったらなんとしてでも避けると思う。

人々がなぜ日々の通勤ラッシュに耐えられるのか理解ができなかったが、今回私が目にした“渦”という形での無秩序は、通勤ラッシュにうまい具合に「余白」を作っていたように感じられる。あれがなければ、本当に人々はホワイトアスパラガスになってしまっていることだろう。

そして不思議と、私は今回の通勤電車を、どこか楽しんでいたように思う。私にとっては非日常で、なんだか海外旅行をしている気分だった。あんなに人がいて、各人が別々の目的に向かって動いていて、秩序があって、その上驚くほど静かな空間は、実は世界的にも珍しいのではないだろうか。

いや、だからといってまた乗りたいわけではないんだけど…でも、たまになら、いいかもしれない。いずれにしても、何かのインスピレーションソースになりそうな気がした。


10時過ぎに更新した運転免許証を受け取り、次の予定へと向かうためにまた電車に乗った。駅も車内も通勤ラッシュ時と比べてグッと人は減っていたが、不思議とより無秩序になっていた。そこらじゅうが“渦”だらけだったし、とてもうるさく感じられた。

少しだけ通勤ラッシュが恋しくなった。


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