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適応障害後、夫婦の会話の質が変った

今春、僕は会社から休めと強制的に言われ、仕方なく心療内科に行き、その場で先生から「適応障害」と言われました。そして次の日から休職に。さっすがに、会社に行かず家にいることとなるので、妻には言わないとまずいと思い、自分が適応障害という診断をもらったことをその日に話しました。この日を境に、妻との会話の質が変ったように思います。

結論から言うと、ありのままの自分を伝えることで、夫婦仲はとても仲良くなりました。当面は無職で給料が入らず、今だ先の見通しが立っていないにもかかわらずです。


これまでの僕は、自分の進む道については妻には相談することは一切ありませんでした。妻とは学生時代から付き合っていたのですが、在学中に1年間海外に留学することを決めた時も、会社から仙台に転勤を打診された時も、また転職する時も。すべて妻には事後報告でした。

たださすがに今回の「休職」については、事後報告では済まされないと思い、また家族からの協力を得ないと、体調が回復しないと思い、すべてを話したのです。

なぜ適応障害になったのか?
どんな症状で、自分の身体に何が起こっているのか?
そもそもなぜ僕がこの会社に入り、何を会社から期待されていたのか?
何をしていて、部下との関係性や上司との関係性はどうだったか、会社の状況、大変なこと、嬉しいことなどなど。

入社後、短期間で期待をされた成果を上げられなかったこと、その結果、部下や上司から信頼を得られなかったこと、休めと言われたものの内心は辞めたらと言われたようなものだと思ったこと・・・。本当に仲の良い友達には言える自分の弱い一面は、これまでずっとずっと妻に言うことはしませんでした。ただ今回ばかりはすべてを話したんです。今思えば、ちょっと半泣きしてたかもしれないくらい、本音で弱くみじめな自分を伝えたんですね。すべてをカミングアウトできたから、何かを隠したり、嘘をついたりする必要もなく、その後の会話がとても楽になりました。

例えば、一時期は復職に向けて調整をしていたものの、社長と折りが合わず退職に至りました。この時も妻には、結構生々しく、事実を伝え、復職をしない意志を伝えました。以前の僕でしたら、事実のみを伝え、そのプロセスについては余り言うことはしなかったのですが、逆にプロセスを伝えることで、妻に対して変な心配や不安を抱かせたり、妻が自分に対して不信感を持つようなことがなかったと思います。また、7月から起業に向けて動き出す際も、わざわざ夜中にカフェに誘って、起業に対する想いをしっかり伝えました。意外?としっかりとしたアドバイスももらい、とても協力的でうれしかったです。

総じて、妻が人として、また妻としてかなりデキているというのはあるのですが、適応障害後のコミュニケーションの質が変ったことで、夫婦仲はここ数年ではとても良い状態をキープできていることは、適応障害になったからこそできたことだと思っています。

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