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はじめて言うけど、吃音があります

こんにちは、ゆうとです。

タイトルにもある通り、僕には吃音があります。

「僕には吃音があります」

と、今はじめて言葉にして言ってみたから、まだやっぱり擬似地なさを感じるんだけど、どう考えても、僕には吃音があります。

話そうとすると、吃ってしまったり、大切な場面で、ものすごい勢いで噛んだりするからです。

「あ、あ、あ、あ、ありがとうございます!」

みたいになることが、一日に数回はあります。

FMのラジオパーソナリティーをしている僕を知っている方からすれば、信じられないかもしれないけど、吃音と長く付き合っているから、ごまかすスキルが高すぎるだけなんですよ。笑

ただ噛んだみたいに、サラリと誤魔化せるからねw

ちなみに、吃音が出るその度、僕は自分の「心の強張り」を感じます。

そんなときにいつも思うのは、「僕は、一体何に怯えているんだろう?」と、いうこと。

それは、心理カウンセラーとして心理学を学んだ僕にとっては、自己理解を深められるチャンスで、むしろポジティブな瞬間だったりします。

心の中で、固くなり柔軟性を失った部分を見つけられるような感じだから。

だって、その部分さえ伸ばすことができたら、また自分の可動域と可能性を広げられるようになると思っているからです。


(え。あれ?今気づいたけど、この感覚って、僕だけのものなのかな?あなたはどうですか?

自分の中にある「強張り」に気づいて、ストレッチをするように伸ばしてみたりしませんか??)


自分に「許可」を出す。というか、自分の中にあった不要なものを「手放す」という感覚です。


たいてい、多くの方は、アクセルとブレーキを同時踏んでいますよね。

本当はやりたいことがある!けど、でも、だって、お金がない!時間がない!スキルがない!みたいな。

もれなく僕もそうだったのですが、僕の場合はその塩梅が強すぎて、一度うつ症状になってしまったことがあります。

あの「うつ症状」は、今思えば「心のエンスト」でした。

アクセルとブレーキを同時に踏みすぎたから、心がエンストしたんです。

でも、エンストしてモタモタしている自分を「恥ずかしい」と思っていたから、周囲にバレないように、声や感情を出すことをやめて、まるで何事もないかのように過ごしていました。

そしたら、うつ症状になっちゃった。

そんな自分に、どこか「恥ずかしさ」や「後ろめたさ」を感じながら生きていたから、「君はどう思う?」と問われる度に、ボロを出さないように慎重に言葉を選ぶんだけど。

本当の気持ちを言いたい自分(アクセルを踏み込みたい自分)と、間違ったことを言って恥をかきたくない自分(ブレーキを踏みたい自分)が、ぶつかりあって、

「あ、あ、あ、あ、ありがとうございます」

みたいに、エンストしちゃうんですよね〜

そして、そんな自分をさらに恥ずかしいと思うから、何も話せなくなり、鬱になりました。


でもね。その点、ブログは良いですよね〜

「文字」だから。言ったことを何度でも書き直せるという安心感があります。笑

「会話」だったら、一度間違って発してしまった言葉は、キャンセルできないですからね。とても「怖さ」を感じます。

そんな、エンストしがちな僕だけど、「言いたいこと」や「伝えたいこと」はたくさんあるんです。

だって、もっと他人や社会に貢献したいから!!

たぶんだけど、そういう僕みたいな人って、世の中にたくさんいらっしゃるんじゃないかな?と思うんですよね。

(もしかして、あなたもですか?)

僕は、リアルの場で言葉に詰まる自分が嫌で嫌で仕方がなかったけれど。

こうしてたくさんのブログ記事を書いていく過程の中で、自分の言葉を俯瞰して観られるようになったから、「言葉を扱う」ということへの恐怖感が薄れて来ました。

しかも、そのおかげで、今では地元のFMでパーソナリティーができるくらいになったわけです。

我ながら、すごい変化ですよ。よくやっていると思います。えらい。本当にすごいぞ自分!と、思わず自画自賛して、褒め耐えたくなるほどに。



さて。実は、この記事も自分自身の自己理解を深めるための「挑戦」の記事だったんです。

「僕には吃音があります」

なんて発言することは、僕にとっては、まるで裸を晒すような、勇気が必要な行為だったから。

でも、心理カウンセラーの僕は、「悩み」ってやつには「認めると消える」という法則があることを知っているので、勇気を持って自分の中から出してみました。

ちなみに、まだ心の中から「ソワソワ・ざわざわ」という音が聞こえています。

おそらくそれは、「僕には吃音があります」ということで、周りからどう思われるだろうか?という不安感から来るものなんだと思います。

でも、ここまで書いてしまったんだから、もう他人からの意見なんてどうでもいいんです。(というか、一旦そう思わないと公開ボタンを押せないw)

それよりも、弱いところを出せた自分を今、ぎゅーーっと抱きしめて、「よく言えたね。よく認められたね。」と褒めて、愛して、認めてあげたい、そんな気分です。

たぶんね。僕の吃音は、まだこれからも発動します。

でも、ここまで書けたから、きっと今まで以上に堂々と発動させてあげられるようになると思います。

最近では、「吃音も、僕の一部だ」と愛することができるようになったからです。

「ここが僕の弱点じゃ〜〜!!」

と、堂々と宣言できればできるほど、きっとこの人生は、“生きやすさ”を手にできる仕組みになっています。

どもっちゃう自分。大切な場面で噛んじゃう自分。エンストしがちな自分。

僕の場合は、そんな自分に「ダサいな、何やってんだよ!」と評価・ジャッジするんじゃなくて、「かわいいな、人間らしいな」と、「失敗」する自分を愛おしいと観てみることにしました。

だって、この弱点は、僕にしかない特別なものなんですよ!

この弱点があったおかげで、出会えた人、関われた場面がたくさんあり、今の僕に辿り着けたのだと思うから。


ああ、また「文章」だから、つい話しやすくて、堂々とサラサラと、さもペラペラと話してしまいました。笑

でも、「吃音がある」を認めたからこそ作れたこの記事は、どこか僕にとって、やっぱり愛おしい存在なんです。

この記事を書けてよかったな〜。

そう思うと、やっぱり「弱点がある自分」が大好きです。

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