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対立を避けることで失っていること

日本人は、世界の中で見ても対立を避ける文化を持っていると言われます。空気をよみ、相手の気持ちを慮り、思っていることを伝えたり、行動することを控えたりします。

たとえば、研修で講師から質問を投げかけられたりする場合、最初のうちは、すぐに手があがったりすることは稀です。

それは、知らない人、どんな反応をするかわからない講師の前でいきなり意見を言うとどうなるのかということに対して無意識に危険を感じているからではないでしょうか。

日本人は自分の意見を主張すると、相手の気分を害したり、批難を受けたりするという経験をしやすい社会で育ちます。小さいころは誰もが無邪気に手を挙げていても、何度か痛い目にあうと、そのような行動を続けづらくなってしまいます。

しかし、そうして意見を控えることによって何を失っているかについて、私たちは無自覚ではないでしょうか。

「よい関係」の条件とは何かということについて考えてみると、

私の場合、よい関係を築けている家族や友人とは、この人に自分の気持ちを正直に伝えても大丈夫だという安心感があります。

キーワードは「評価・判断」をされないということです。

もし、私が何かを言った時に、それを相手の価値観で「それはダメだ」とか、「あいつは言い訳している」等々、自分ではそんなつもりではないという風にとらえられそうだなと思う場合、安心してその人に思いを打ち明けることはできません。

人から、(その人の価値観で)不本意な判断・判断を下されてしまうことは怖いことなのです。

以前、本ブログ67回で書きましたが、人は相手のかけているメガネではなく、自分のメガネで人の意見や行動を評価・判断します。

このメガネは生まれてからたくさんの経験をする中で、無意識に形成されているその人のものの見方です。

「事実」を自分の見たいように、あるいは自分の思考のクセで見ているという自覚を持つことはとても大切なことです。

会社であれ、家族であれ、組織の誰もが「よい関係」を築きたいと思っているにもかかわらず、なかなか実現している話は聞きません。

意見を控えたり、対立を避けている組織が失っているのは、おそらく「よい関係」です。表立って交わされている会話の陰になっている部分についても、発言しても大丈夫、危険でないという環境を育てていくことで、新しい可能性が芽生えてきます。

日本人は、対立と上手に付き合う方法を学ばないといけない時に差し掛かっているように思います。

関係を壊すことなく建設的に問題を探り、議論を深め、組織の解を創っていく力が求められているのではないでしょうか。

来月もよろしくお願いします!

2016/6/26 VOL72                                                                                           sakaguchi yuto

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