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わたしのひっぴいえんど | 2000年生まれのポピュラー文化探訪 #79

 大学院へ進む方はともかく、大学四年生と社会人一年目の境目は、それなり以上に大きな壁となって立ちはだかるものです。去年の今頃、大学の授業もすべて終わり、三月のトークイベントに向けた準備をしながら、卒業制作代わりの作品をいろいろ作成していました。

 この時期、加藤和彦さんと坂崎幸之助さんのユニット・和幸のアルバム『ひっぴいえんど(2009)』をしきりに聴いていました。結果的に加藤さんの最晩年の代表的な作品となった本作は、はっぴいえんどや岡林信康さん、かまやつひろしさん、クロスビー・スティルス・ナッシュ・アンド・ヤングへのオマージュを捧げた作品で、当時のサウンドに限りなく近い、もしくはアップデートされた良質の音楽でリスナーを愉しませてくれました。

 いつか書いた気もしますが、晩年の加藤さんは作詞をするようになりました。ブレッド&バターに提供した『One afternoon in the bar』は公になっている音源の中で唯一の単独作詞作品です。

 『ひっぴいえんど』は和幸の名義で作詞を手掛けていますが、当時のインタビューでも証言されているように、おそらく大半が加藤さんの感性によって紡がれたものなのでしょう。

 2002年のザ・フォーク・クルセダーズ新結成以降、加藤さんは次々に自身の二十代を振り返るような作品を発表しました。『戦争と平和』は素晴らしい作品でしたし、『NARIKISSOS』や『和幸:ゴールデン・ヒッツ』も本当に楽しみながら創っていることが伝わってくる作品でした。ただ、加藤さんは2009年の秋に突然いなくなってしまいました。

 今回は加藤さんにまつわるエッセイではありませんから、この話題はここまでにしておきます。ただ、和幸の最後のアルバムになってしまった『ひっぴいえんど』の表題曲「ひっぴいえんど」の話をしようと思います。

 わたし、正直、大学生の終わりで燃え尽きていました。「これから先の人生なんて、どうでもいいや」って思っていました。やりたいことはあるけれども上手くいかないし、新しいことを始める勇気なんて出ない。そもそも、この希望なんて見つからない世界で愛を探そうとすら思えないうえに、身近な人すらも信用できなくなっていました。ぜんぶ、何もかもがわたしのせいなんですけれども。今は多少、いろいろなものが良くなっていて、途中で大きな挫折も経験していましたが、あれから半年以上が経った今、良き思い出として語れるほどに回復しています。

 大学時代はほんとうに面白かったのです。夢に向かって、正直になれました。高校時代はもっとそうでした。今となってはどうでも良いようなことでも、たとえば自宅にあるモノで宇宙に行くための方法すら、真剣に考えられる仲間がいました。大学生が終わって、学生と呼ばれなくなると、現実の中で生きていかなければいけない。

 ……わたしの中での「ひっぴいえんど」がすぐそこまで来ている。もう自由が死ぬんだ。大人になるしかないんだ。

 最初に抱いた、こうした喪失感って、実態のないものに過ぎませんでした。そんなものに揺れ動かされて、将来すらも投げ捨てそうになってしまっていたのです。生きることのおもしろさも、考えることの楽しさも、新しいことを始める時のときめきも、しんどさも、喜びも、すべて信じるに値する素晴らしいものなのに、投げ捨てそうになってしまっていたのです。

 それでも、まだ生きている。ちょっとマシになって、ここにいる。

 社会人一年目が終わろうとしている今、今日も明日を考えるための旅に出てきました。一昨日の旅よりも良い旅で、また頭を悩ませる日々が始まるのかもしれないけれども、二十代前半はもがけばいいじゃないですか。

 「ひっぴいえんど」を聴くたびにあの頃のことを思い出します。愚かさと、醜さと、美しさと。全部、全部、抱きしめて。

 もし良かったら、あなたも加藤和彦さんという素晴らしい表現者を心の中に覚えてください。トノバン、だけでも。

 2024.2.15
 坂岡 優

最後までお読みいただき、ありがとうございました。 いただいたサポートは取材や創作活動に役立てていきますので、よろしくお願いいたします……!!