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令和ウルトラセブンの可能性 | GO AHEAD -僕の描く夢- 第131回

 「怪獣って、かっこいいんだ!!」

 それを教えてくれたのが、キングジョーやエレキングといったウルトラセブンに登場する怪獣たちだった。なんといっても、成田亨氏のデザインはこの作品を語る上で外せない。作中に登場するメカニックは現在でも十分に通用し、多くの作品でオマージュ元として活用されている。残念ながら、作品中盤からはのちに「帰ってきたウルトラマン」や「ファイヤーマン」でご活躍される池谷仙克氏に交替することになったが、最終担当作となったプラチク星人のエキセントリックなデザインは今作の白眉とも言えるだろう。この星人はウルトラにおける成田デザインの集大成である。(わたしはプラチク星人のデザインが大好きだ。)

 「第二期ウルトラシリーズ」の怪獣・メカデザインはよくも悪くも時代性や作品性を反映したものとなっている。ベムスターやバキシム、バードンやマグマ星人などの人気怪獣も登場したが、第一期のゼットンやエレキングといった無生物系の宇宙怪獣を超越するほどのインパクトを産み出せてはいない。プリズ魔や円盤生物などといった一部の怪獣や宇宙人たちは多分に挑戦的だが、アニメや他社の特撮作品にメインムーブメントを奪われてしまったこともその卓越したイメージが世代に受け入れられなかった原因の一つだとわたしは思う。ウルトラマンタロウの後半にはオイルショックが発生し、それまでよりも出来ることが少しずつ減っていったのもシリーズにとっては大打撃だったに違いない。

 東映生田スタジオの設立とともに放送開始された「仮面ライダー」は怪獣(怪人)に対するイメージを一新させた。おどろおどろしく、作品の色を確立するには十分すぎるほどに完成されているのに、とても安上がり。もともとウルトラよりも予算が少なかったことも関連しているが、この怪人の登場は特撮作品に革命を起こした。東映製作の特撮作品は「仮面の忍者 赤影」や「大鉄人17」などの数少ない例外を除けば全て等身大作品だし、「マグマ大使」や「スペクトルマン」など巨大特撮で円谷プロダクションと対峙してきたピー・プロダクションの作品も等身大作品が増加した。

 特にピー・プロダクションは「特撮時代劇」という過去に東映などの映画会社が挑戦してきた分野に新風を吹き込み、ピープロ作品独特の雰囲気やケレン味溢れる作品テイストは当時の視聴者たちに大いなるインパクトを植え付けた。ピープロの作品群は大ヒットに恵まれず、数年後の「冒険ロックバット」を最後に特撮作品の製作を“休止”することになってしまうが、「スペクトルマン」や「怪傑ライオン丸」・「電人ザボーガー」といった作品は今でもカルト的人気を誇っている。

 この時代、東宝や国際放映、果ては後楽園球場も特撮作品の製作に参入。「ガメラシリーズ」を製作した大映は特撮ブーム前夜に倒産してしまったが、斜陽となった映画界を超えるテレビドラマという枠の中でヒーローと怪人は躍動した。

 どんな分野でも一旦ブームが起こると膨大化し、少しの期間が過ぎるとメジャー数社に集約されていく。これを寡占化というのだが、特撮作品なんかはその典型的な例だといえるだろう。

 前置きが長くなったが、この怪獣デザインの話が「令和ウルトラセブン」の可能性を示す鍵へと繋がっていく。

 「ウルトラセブン」を初めとする昭和の特撮作品の多くは、シリーズ構成と呼ばれる現代の大河ドラマ形式の一年を線でつなぐ物語ではなく、単独エピソード(つまり点と点)が集合体となって作品になる。そこがチャンスなのだ。こういった大河作品はスポットのライターやディレクターの参加を促しにくく、どうしてもメインディレクターやプロデューサーの意向が作品に大きく反映される。だが、「ウルトラセブン」のような単発エピソードを軸とした作品は新規クリエイターの参入を促しやすい。

 「ニュージェネレーションシリーズ」からのウルトラシリーズは製作スケジュールの都合などで多くのライターが参加しているが、映像面ではなく文芸面を見通してみれば、矛盾点や冷静に考えると不思議なポイントも散見される。そういうところを目にするたびに、話数の短さを上手く活かせていないように思えてしまうのだ。(最新作の「ウルトラマンタイガ」や「ウルトラマンX」・「ウルトラマンオーブ」は複数ライター制が上手く作用していたように思える。「ウルトラマンジード」は乙一氏がシリーズ構成として世界観を構築したため、除外)

 その短さを生かすには、一話ごとの面白さをよりブラッシュアップしていくべきではないかとわたしは考える。

 ご存知の方も多いと思うが、現行シリーズではエピソード監督と特撮監督が分かれていない。パイロット版などの例外を除けば、エピソード監督がそのまま特技演出を担当するのが通例だ。

 ひとりの監督がすべての演出を担当するということは、演出分担によるイメージの剥離が発生しない。「ゴジラの逆襲」よりカメラマンとして特撮作品に参加し、「ウルトラシリーズ」で大いに腕をふるった高野宏一氏は「特撮の人間が本編を撮ると、何故か特撮がおろそかになる。また、本編の人間が特撮を撮ると逆に本編がおろそかになる」という言葉を残されているが、このイメージの剥離を最小限にするためにはこの一班制は前向きな手法と捉えるのが最適解な気がするのだ。

 一班だから、思い切ったデザインにチャレンジできる。
 これまでやれなかったパターンに挑戦できる。

 ウルトラセブンでもベロリンガ星人やメトロン星人などの傑作回を担当された実相寺昭雄監督も「ウルトラマン」で特撮班と演出がなかなか噛み合わず、とても苦労されたというエピソードを耳にした。ゴジラシリーズでも本編班と特撮班の噛み合わせにおける苦労話が語られている。

 現行シリーズでメインプロデューサーを長らく勤められている北浦嗣巳氏は当初新シリーズの特撮を実景合成を中心としたものにすることを検討していたそうだが、技術の進歩によって従来のミニチュア特撮でもそれほど多くの予算が要らなくようになったために、ミニチュア特撮を進化させていこうという方向性に技術面では大幅にシフトチェンジした。

 もちろん、一班体制にすることで新鋭のみならず、各界で実績を残したクリエイターたちを招聘するという新しいイベントを巻き起こすことも可能となるだろう。

 ウルトラセブンは、令和の時代においてもこれまでと変わらずに活躍できるヒーローであるということを確信している。その根拠のひとつとなるのは「70 CREATORS' SEVEN クリエイター70人のウルトラセブン」という書籍の存在だ。

 この書籍はクリエイターの限りなくソリッドな作品への愛情が表に出ている作品だとわたしは感じているが、そんなクリエイターたちの感性や願望をようやくそのまま形にできる時代がやってきたのではないかと思う。

 そして、ウルトラマンマックスやウルトラマンXといった一話完結を軸に作劇を展開させていくシリーズが多く存在するのも、令和時代にウルトラセブンが成立しえると断言できるもう一つの根拠となるであろう。

 わたしも、ウルトラマンを作りたい。ウルトラセブンを描きたい。そう思って、作品をつくってきた。ウルトラシリーズへの愛情は創作を続ける原動力にもなっている。

 もし令和ウルトラセブンというプロジェクトが実際に開催されるとしたら、そのときにはプロジェクトの一員として声をかけられるくらいのクリエイターになることを目指してこれからも活動を続けていく。

 始まりはウルトラ怪獣から。

 これからも、ウルトラマンと共に生きる。怪獣と共に強くなる。
 ほんとうは敵なんかいないんだ。コスモスの教えを忠実に、やさしく生きます。

 2019.09.23
 Yuu

最後までお読みいただき、ありがとうございました。 いただいたサポートは取材や創作活動に役立てていきますので、よろしくお願いいたします……!!