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エロティシズムと人間社会


エロティシズムには性的なリビドーなど人間社会を構成するうえで欠かせない要素が詰まっている。
それは相手に対する未知の概念を呼び起こし、また個体間の差異を構成する。
これにより個体間において興味と欲求の本質が発生して個体間の連携につながる。

またこの個体間の興味と欲求は他者理解の本質として機能して学問を発展させることもあれば、個体間の殺伐とした殺し合いまで演じさせる。

まあ殺し合いについては生命発生初期の自然生成と消滅のサイクルを短絡的に効率化した生命主体の残虐性でもあり、あくまでも効率化を狙った主体展開であるから、この残虐性は地球全体の生命存続にまで迫ろうとする人間には強い自制が必要だ。

この相互扶助の精神と相互疎外の精神の2律背反の要素を持つエロティシズムには世界制覇している人間においては十分な配慮が求められる。

社会においては相互扶助の精神を発達させるのが本質だがそこには資源の枯渇というどうしようもない相互疎外の精神が根強く脈打っている。

これは途方もない問題である。
経済においては結局資源の枯渇と独占に人間主体は敗れ去ろうともしている。
ここにエロティシズムのアガペーなりの精神を導入して配分をしっかりと機能させることは命題になる。

また精神構造上のエロティシズムにおいても強い自制の必要性も出てくるがそこはまた補い切れない個体主体の脱主体化に向けてエロティシズムは強い意味を持つ。

何にせよエロティシズムに個体主体は生存本質を賭けなければならない。
そこは己の個体主体の生存戦略として強く考えていただきたい。

私的には精神的な多発的交流の必要性と肉体的な永続的愛情表現の固定化によりエロティシズムを正常に機能させたいがそこはまた背反規律の使徒の出現も盛んだろう。

エロティシズム自体の発展には先はそれほど無いように思うが脱主体化という自己分裂という新概念の登壇も十分に期待される。
しかし分裂症に関しては制御本質が外部から確立することが困難であるために難しい課題でもある。
この分裂症は細胞分裂のような精神の自己生殖能力でもある。

また最近よくテーマになる男尊女卑、女尊男卑といった主体客体概念の前に取るに足らない問題もあるが文化的潮流として一先ず克服しなければならないテーマもある。
ただしこの男女差別のようなものは主体客体概念が明確に示されることによってまた解消もされる。
これは主体の確立におけるそれぞれの男性性、女性性の主体・客体擁立の問題である。
ここで男性性、女性性はそれぞれの主体、客体をそれぞれに付託している。

いずれにせよ主体、客体の概念があるのはエロティシズムの恩恵としてそこはよく理解を進められたい。

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