見出し画像

幸せと罪悪感

 虐待サバイバーのゆうかです。

 私の人生で一番楽しい思い出は大学時代でした。

 私が大学生になっても父の虐待は続いていましたが、私は大学入学と同時に、サークルに入りました。高校時代は、大学に入るためだけに猛勉強にあけくれていましたから、大学ではサークルに入り、色々な方とコミュニケーションを楽しみたいと思っていたからです。

 私が入ったサークルは、自然を愛するサークルで、野鳥を見に行ったり、登山をしたり、高山植物を観に行ったり、スキーを楽しんだりするサークルでした。
 私は自然が大好きでしたので、サークル活動に夢中になりました。
 友達も先輩も、後に後輩もたくさんできました。

 ところが、そのサークルを楽しむためには車が必要でした。何台かの車に乗り合わせて、数十人で出かけるのです。
 私は自分で購入した中古車に乗っていましたし運転は大好きでしたので、私が車を出すこともありました。友達や先輩の車に同乗することも多々ありました。
 遠方まで出かけることも多く、土日にかけて一泊することも時々ありました。

 これについて、父は毎回大反対でした。私は父が反対することはわかっていましたが、どうしても行きたいので、毎回父に直談判すしていました。

 遠方に車で行くこと、誰かの車に乗ること、誰かを車に乗せること、宿泊すること、しかも男性がたくさんいること……想定内ではありますが、父にとってはどれもこれも気に入らないことでした。

 もちろん親としての心配は理解できますが、父の反対はそれ以上のものでした。

 私は週7でバイトし、家に5万円いれていました。学費も通学費も父には1円も出してもらってませんでした。
 
 だから、サークル活動がある日だけは、バイトは休み、もちろん全て自分が稼いだお金で遊びに行っていました。

 けれど、父にとってはそんなことは一切関係なく、私が男性も含むグループで出かけることが許せないようで頭ごなしに猛反対するのでした。
  
 父は、私がサークル活動に行きたいと話す度に、大声で威嚇しながら、私をなじり、親不孝ものだと怒鳴り、毎回毎回、私が出かけることを反対しました。
 それでも、私は、泣きながら行きたいと訴え続けました。毎回同じことを繰り返していました。

 その結果、私は毎回、父の反対を押しきって、サークル活動に出かけることになりました。
 なぜ結果的に父を説得できたのかは、覚えていません。
 ただ、毎回が命がけだったことは確かです。
 けれど、父に激昂されても、サークル活動が私にとっては最優先でした。

 ある日姉に言われました。
 「ゆうか、もう少しなんとかならないの?少しは我慢できないの?」
と。

 姉は当時同じ大学生でしたが、あまり遊びに出かけていなかった姉にとっては、サークル活動で遊ぶ私が、その度にいちいち父を怒らせることを、おもしろく思っていなかったのだと思います。
 私に、もう少し自粛しろと言いたいんだろうと、受け取りました。

 私は愕然としました。
 姉のこの一言で、敵は父だけではないんと思ってしまったのです。
 
 他の家族は、私を邪魔物と思っていると思い込んでしまいました。私が父を怒らせる原因を作っているから、なるべく父を怒らせないように頑張っている家族の迷惑になっている、と思い込みました。

 20年たち、妹に確認したとこら、大学時代の私はとても楽しそうでいきいきしていた、羨ましいくらいだった、だから迷惑なんて全く思わなかったと、言っていました。

 けれど、当時そんなことを知らなかった私は、罪悪感に押し潰されそうになりながら、サークル活動をしていました。

 今思えば、父の反対や家族に対する罪悪感を乗り越えて、それでも自分が楽しみたい気持ち、幸せと思える行動を優先していたのです。
 そんな私の大学生時代、本当に楽しく幸せで大好きな人もいて、毎日が楽しかったです。

 ここ最近、そんな楽しかった日々が私にあったことさえ、忘れてかけていましたが、唯一私が私であろうとしていた時代だったのかもしれません。

 ただ、そこに罪悪感と幸せな気持ちが、常に、同時に存在していたのが現実です。
 だからなのか、今でも幸せな気持ちになると罪悪感もついて回るようになったのかもしれません。

 そして、大学4年の時に今の夫に会い、付き合い始めました。そこから歯車が狂い始めたことは…また後ほど。


 



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?