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『とある作家の日常』

よく見たことのある天井が今日も目に入る。いつもと変わらない生活が始まった。頭が回らなくなるので朝食は食べずに、仕事場という名の四畳半の居間に座る。今は珍しく私を評価してくれている人が仕事をくれたから、記事を書いている。題材は政治家の政治資金流用について。特別興味があるわけではない。けれど元々独学で法学や哲学の勉強をしていたから、書くこと自体に苦心はしない。このまま昼の十二時くらいまで書き続けて、そうしたら朝食であり昼食でもあるものを取る。自炊は嫌いではないので、何かを作ろうと思う。冷蔵庫を覗くと卵と冷凍して置いておいた白米があったので、オムライスを作り食べ始める。そうして食べ終わって、アルバイトに行く準備をする。アルバイト先は家から十五分ほどのところにあるドラッグストアである。そこはセルフレジが充実しているから、基本的に品出しなどの雑務をいつもやっている。ドラッグストアを選んだ理由は、社割によって日用品を安く買えるからである。今日は月曜日だから客は少ない。九時くらいになってスーツを来た人たちがお酒などを買うのを横目で見ながら閉店作業を進める。
 「彼」はアルバイトをしながら偶に記事やエッセイを書いて生活しているしがない作家である。私の書く小説の中の主人公だ。文章の内容は私の過去がモデルとなっている、訳では無い。単純に私の静的なリズム感を表現するために生まれた、仮想の人間である。しかし私との共通点が全くないかというと、そうでもない。私も哲学はある程度勉強したし、部屋の大きさに興味はないから四畳半の居間がある部屋に住み続けている。登場人物の「彼」に話を戻す。「彼」の人生は私と同じ時間を辿っていないし、同じ次元に成り立ってもいない。しかし、たしかに「彼」は彼の意志によってその人生を歩んでいる。その彼の意思の正体は私の書く文字に依ることは間違いないが、「彼」は彼の主体として存在しているのである。「彼」は私のことを認知できないだろうが、私は「彼」の存在を認知できている。私は「彼」にとって、因果律の全てを操る神のような存在なのだろうか。私の話はここまでにして、「彼」の人生の続きを書くことにしよう。
 またいつもの天井である。帰ってきてからもはや惰性で食事をし、いつの間にか寝る準備を済ませていたようだ。今日はアルバイトがない日なので、記事を書くのは後に回して、趣味の読書でもしようと思う。最近の文学には流行があって、それは「メタ文学」と呼ばれている。その形式というのは、作品の中で「文字という記号の連続を物語として読む私たち」を題材にした文学である。つまり、物語を読む私たちを物語として読む文学である。この文学では一つの物語の中で二つのストーリーが展開される。その複雑さが、読み手になんとも言えない違和感を与えるのだという。私も一応物書きだから、やってみる価値はあるかもしれない。流行に乗っかる文学というのは、作品自体の素晴らしさというよりもこの流行の体系に如何にフィットするかのほうが大事だから、その分廃れるのも早い。しかしだからといって、アルバイトをし続けている今の状態を甘んじて受け入れるよりは、なにかやってみるほうがマシかもしれない。よし、いい考えが浮かんできた。私を物語内の物語の主人公にして、それをメタ認知している、私という平凡な人間の物語を書く作家を物語の主人公にしよう。丁度、というのは少し嫌だが、正直私の今の生活はルーチンワーク化されていて、独特の違和感を作り出すにはもってこいだ。それでは早速取り掛かろう。善は急げと言う。題名は『とある作家の日常』というのがダブルミーニングになって良さそうだ。

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