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季節感情障害のLament

Lament=(名詞)悲しみに沈んだ詩。(動詞)残念な気持ち・後悔を表すこと。嘆くこと。


なぜか身体が不安感まみれでnoteを書くことにした。昨日の夜からこの不愉快の気持ちだが、双極性の症状とも微妙に違う。


変。


邪悪な魔物に遭いそうな予感。

きょうは祭日で、まるいち日がひま。どんより曇りの空。ずっとアパートで過ごすことも可能だが、なぜか精神が落ち着かない。

不吉の兆の悩みに耐えられなくて、なにかしなければいけないと思ってbrainstormした。

暴れてる心内を大人しくさせるためにマッサージにいくことを決めた。風俗のお店に通うかとおもったけど、この時は性欲感が全くない。そんなわけで、タイ古代マッサージを検索してアパートを出た。久しぶりの新宿だ。ワクワクさせる街並みを吸い取って、楽しかった20代前半の思い出が浮かび上がる。少しは癒えてくる。

いくつかの十字路と数々の見分けがつかないビルの並びのあいだに歩いていると一回迷って、地図を参照しながらどうにかして目的のお店がみつかった。

店内は控えめな照明で、少しテンションが下がる。薄暗いホールの角にフロントデスク。先に電話したとき受け取ってくれた女神がパソコン画面の反対側に無表情でたっている。アクセントは少しあるが、にほんごは問題なく喋られる。
「でんわでよやくしたひとですか?」
わたしは肯定の返事をする。

注文を決めてから先払い、そして女神さんがマッサージルームに案内する。これは始めてのマッサージではないが、こんな店は滅多にこない場所で、まだ初心者の気持ちで入ってきた。服を脱いでると、ここでいったい何をしてるんだと考えはじめたが、もう帰るのには遅い。パンツまで脱いで着がえる。ベッドに寝転がって待つ。ややあってから、ようやくマッサージの妖精がカーテンの裏から現れる。


マッサージは60分。妖精は美人だった。妖精の手平はあたたかい。私の背中の筋肉は凝ってる。痛みも感じるが、終わってから身体は蘇った。
「おつかれさまです」
立ち上がると頭はふらふらするが、元気はすぐもどってくる。


すっきりでお店を去って、つぎは飲食店にたどりつきラーメンを召し上がり、勢いできれいに食べあがったらまた出て、少し100円ショップで買い物をして、そのあとアパートに戻ったらチェーン喫煙。

身体はリラックスできたが、胸の奥は目に見えない冷えたナイフに刺されてる。



冬が来る。



そうだった。私は季節性感情障害なんだ。日がのぼるのがおくれてきて、日が沈むのが速くなる。そのわりあい肌が日光に餓えて、全身に不安が流れる。

いつも自殺願望をつのらせてたときはほとんど秋と冬のあいだだった。すずしい風が吹いてくるたび、劣悪な渦巻きに魂が吸いとられる。noteでなんども書いてあるが、命を断つところまで悩んでいたことは幾度もある。土の中に横になって、絶望に負けるとは思ってたが、毎年さいごは天からの光がかすかに輝いてきて助かった。


これからの3~4か月は辛くなる。毎年そうだけど、今年度は特にきつくなる。なぜそれを知ってるか自分でもわからないが、これは確かだ。夏のあつさを生き延びたが、こんどは冬の寒冷な悲惨を忍耐しなければならない。31歳はまだ若いと言われるが、私にはこの10年は悲劇がつぎつぎとくり返される傷ましい一時代だった。ずっとつらい想いを肩にかけてきて、よりながいdecadeだった。

さまざまなトラウマを受けて何回も輩出する失敗を越してからでも、この先にはまだ山ほどの悲哀が現れてくる。この大宇宙は一瞬も隙間があかない常に苦がつづく輪廻転生だと仏さまの教えがある。確かにそうだと今のわたしは思う。



それでも、生きててうれしい。


そうほんとうに思う。


瞬く間に夜になった。バルコニーに立って、けむりに囲まれて都心の地平線を眺める。数えきれない灯かりが遠くから輝いて瞳に映る。ため息がこぼれる。頑張ってきたなぁ。仕事も長い戦いのあげくの果て手に入れたし、なんとなく良くやっている。進めば進むほど頂点に近づく、そして景色が広がってきて周りがよりきれいに見えてくる。「しあわせ」という言葉すら知らないわたしだが、生まれてから31年目に命の尊さのことがわかってきた。



笑っちゃう。

笑うしかない、この人生ではユーモアがたった一つの救いかもしれない。


仲間をつくって一緒にみんなで笑っていこう。つらくても、つらいほど笑えばいい。




その夜、お店からの妖精が夢にでてきた。

(カバーイメージはreniwongというアーティストの画像です。ぜひインスタグラムでフォローしてください

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