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正しさは、時に人の心を傷つける。

おはようございます。
今、凪良ゆうさんの流浪の月を読んでいます。

神様のビオトープを読んだ時も
同じような感覚を抱いたのだけれど、
"正しさ"ってなんだろう、と思う。

私自身、とにかく物知りだった父の影響もあり、
昔から深く考えることが好きで
それはもうとても理屈っぽい性格に育った。

根拠がなければ納得できない、
その中で自分が納得できる理由を
かき集めて、並べたてて、
それを生きる理由だと考えている。

正しさ。
それは時として、
安らぎをもたらすものでもあれば
不快をもたらすものでもある。

自分の中にある正しいことだけを信じて、
いつか報われることを信じて、
あるいは罰せられないことを信じて。

何かを信じているうちは、
人はその信じたものに
寄りかかることができる。

本当に正しいのか、正しくないのか、
その結果が出るまでは、まだ不確定なうちは、
その信じたものに救われることもある。

逆に言えば、自分が
信じてきたものに裏切られた時、
もちろん勝手に信じて
勝手に裏切られたと感じているにせよ、
その心には大きな傷を負う。

たった一つの拠り所としていた
自分の信じていたものが、
正しいと信じていたものが、
がらがらと音を立てて崩れていく時に
人はその瓦礫に押しつぶされてでも
死にたいと願うのだろう。

私は自分の"正しさ"を集めるために
今まで勉強したり、本を読んだり、
仕事に邁進してきたつもりだった。

でもそれでは上手くいかないこともあって。
正しさは、時に刃となることもある。

例えば、単に話を聞いて欲しいだけの人に
具体的なアドバイスをしてしまうと、
それは欲しかったものじゃないと
反発されることがある。

あるいは、今はそんな発言を求めていない、と
場の空気をしらけさせることもある。

正しさを振りかざせば振りかざすほど、
その刃で傷つく人がいたり
反撃してくる人がいたりする。

だから自分の意見を言えなくなって
ますます自分の理解と人の理解との
距離が遠ざかっていくような感覚になる。

……結局、私が言いたかったのは、
正しさを不変のものとして押し付けるのは
相手にとって不快なことかもしれないから、
そうならないように気をつけよう、ってこと。

今まで往々にして正しさを
主張してきた私にとって、
本当にそれは"好い"ことなのか。

考えさせられる今日この頃です。


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