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思考バイアスの一つ言語そのもののバイアス

最近、言語そのものにバイアスがかかってるのをよく見かけるのでまとめようと思います。

例えば、確証バイアスでいう、確証そのもののバイアス。これは、現実では不確実性が存在しているのに確実なものが存在しているという錯覚をしている状態です。

正解や不正解などの考え方もその分野になります。

または、本質という言葉や、100%などもそうと言えるでしょう。

これらの共通点は一つの言葉に要約しようとすること。

ここで、名詞は厳密にいうと存在せず。複合的な特徴と説明文を要約している状態を表した言語だということがわかっていないといけません。

要約した言葉を伝えることの難しさを理解している人はあまりみられません。

わかりやすく説明すると、みかんを知らない人に、みかんと言って伝わると思い込んでいる状態であったり、

美しい。といって伝わると思い込んでいたり、美味い。が伝わると思い込んでいる状態などを指します。

なので、本質と言われても、わざわざ一つの言葉にまとめてからその後説明するのだから、最初から説明してくれと思うのです。

なぜなら、その一つの言葉にまとめて、イメージをつけるのは後々面倒な事になるからです。

一つの言葉にまとめて指標にした場合、ものすごく綿密な言語力とイメージ力、表現力がない限り、相手には見当違いなイメージがついてしまうと感じています。

この、綿密さを理解して話しているのならまだいいのですが、理解していない、なんとなくキャッチーだから使っている場合、その後の第一印象を消し去り、その言葉をより正確な状態で伝えられるのかが疑問にしてなりません。

例えば、何かの一流になった時に繋がっていることが、多いというのがありますが。

そんな事はありません。それは繋がり離れていく部分をまだ知らない状態です。

例えば、健康でいったら仮に本質をつけるとしたら人格でしょう。

戦略でいったら、事例と体験。

発想で言ったら、実験や好奇心、勇気。

突き詰めたところ、まるで違う部分の資質が必要なのがわかってきます。

と言われたところで、専門分野でない限り何をいってるんだ?となりませんか?

そして、大体はこの後の説明文=理解を促す部分の方が大事なことが非常に多い。理解できない技術など誰にも伝わりません。

要約癖というのは厄介なもので、本質という言葉をよく理解しない場合、その言葉を扱う時、過程を出すことをやめている事に気づかなければなりません。

よりよいフレームワークが、突き詰められた仮説と実験から成り立っているように、

要約する時には注意が必要だと感じます。

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