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川上未映子 短篇集「愛の夢とか」

 川上未映子さんの短篇集「愛の夢とか」に収録されている各短篇のあらすじのような感想のようなものを短く書いてみました。全く間違っていることを言っているかもしれませんのでご了承ください。

アイスクリーム熱

 アイスクリーム屋で働くわたしは、2日おきにアイスクリームを買いに来る彼に一目惚れをする。彼はわたしの話しかける言葉に拒絶するでも容認するでもなく、ただただ相槌を打つ。わたしは彼が自分(わたし)のことを嫌いではないと思っているが、実はそうではなく、ただただその店のアイスクリームが好きなだけで、店に来なくなったのも彼のアイスクリーム熱が冷めてしまっただけかもしれない。

愛の夢とか

 情熱はとうに失せて、ただただ土いじりをする毎日を過ごすわたしは、隣の家の女の人に誘われて週に二度その彼女のピアノの演奏を聴くために家に誘われる。そこではお互い架空の名前を名乗り、慰めにも似た時間にお互い酔いしれてゆく。

いちご畑が永遠に続いてゆくのだから

 詩的な文章で伝えられることがらは私たち読者に鮮明な描写とぼんやりとした恐怖をもたらす。「純粋な拒絶以外の、何かもっと具体的で、いやらしいもの」を持ってしまった彼に私はなすすべがない。ただ、専用のスプーンでいちごに見立てた彼の鼻を潰す空想にふけることしかできない。

日曜日はどこへ

 好きな小説家の死が、鬱々としていて閉ざされていた日々を開放してくれる機会を与える。それを掴みに植物園へ向かうが掴むことはできない。その帰りの電車で出会った男性の暗示的な言葉にわたしは戸惑い、途方に暮れてしまう。

三月の毛糸

 彼女はしんどいことを極端に憶えてしまう。住む場所も妊娠も。でも何もかも毛糸でできている夢の中の世界は、彼女に束の間の安心をもたらす。僕も私たち読者も彼女に引き寄せられるかのように睡魔に襲われ、眠りの世界へ引きこまれてしまう。

お花畑自身

 「わたしの家」に異常な執着をみせるわたしは、最悪の事態にいたるまでの自らの愚かさに最後まで意識的ではない。「わたしの家」を買った「あの女」のいやらしくも自立的な部分にも嫌みが絶えない。ただただ「わたしの家」が大切で、いつの間にか大切なことが何もかも見えなくなってしまい、わたしの家の庭の一部として埋められてもなお、夫が「わたしの家」に帰ってくるときのことを考えてしまう。

十三月怪談

 時子が死んで迷いこんだ死後の世界と思われる世界は、果たして時子の期待なのか、それとも見たくなかった悪夢なのか。愛するということの尊さを、時子の死のその先を通して読者の私たちに訴えてくる。

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