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生きた夢への正誤判定

昏濁した沼地で霹靂を仰ぎ眺める。背にはぬるくも冷たく水かさが増してく。空からの雨粒が山になり、動けない身体から熱と酸素を蒸発させ空へ吸い込まれていく。雷鳴は少しずつ遠くなる。眠る前の意識のようにいつの間にか遠く、遠く、去っていく。反対に夢は急に覚める。寝返りの圧で暖房から冷房に変わったリモコン。小雨を降らしコンクリート色をした空。息詰まるような狭い部屋。沼のようなマットレス。不思議と寝起きの気分は良かった。眠気の誘惑がただ少し、起きる理由がない事を探している。ないものを探す。ないものを探す。頭の中に言葉が浮かび、イメージも浮かぶ。想像した瞬間に目の前が変貌し姿を変える。しかも数秒前の当たり前よりも、目の前で変貌した景色だけを信じる。それが夢の中であって平等のない平等さ、自由のない自由さ、ルールがないことで公平を保つ不思議な空間。きっと見たことのない色や音を夢中に感じても、起きたときには思い出せないし、その感覚は脳では作れない。しかし脳が夢を見せていることを考えると、その当たり前は通じない。脳が作れるものしか、夢として現れない。そんなことの証明なんて、夢の中では求められないし求める人も、求めたさも何もない。あるのにないし、ないものがたしかにある夢の中。死んでしまった人だっていないのに頭の中にはいるし、死んでしまう前にもう二度と会えない、会わない人だっている。どこか遠くへいってしまっただけ。ただそれだけと言い聞かせても残る後味の悪さ、虚しさ、溜息のような声に出ない弱い嘆き。それらは夢から覚めてしまった、寝起きの頭のようにぼんやりと現れ、いつの間にか忘れてゆく。夢の内容はたまに思い出せる。ないものがあるから数式や想像があり、あるもの達から共通点を抜き、逆算し、ないものを作る。あるのもないのも変わらないし、きっと私は死にながら生きているしその逆も然り。オチが無いことが有るだけの話。

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