痛みを求め盲になる

私は変なのかもしれない。
変というより、普通じゃなく皆より何か欠けているような感覚が心の小穴に詰まり孤独感と葛藤を持ち合わせている。

変かもという檻に入るまでの過程を説明するために時間を朝に戻す。
私は起床。気分はとても良かった。呼吸がしっかりできた。

”すべきこと”のために私はカラオケの開店時刻を調べた。駅で東に向かおうか、西に向かおうか。料金は昼食セットのほうがいいか、じゃあ昼過ぎがいいか、いやカフェで歌詞を完成させてから入るのが良いか、あの店は背が高く地震の揺れを体感しやすいし気が引ける、カフェインの量はどれくらい必要か、あそこには喫煙所があったか、何時までだ、今までの疲労経験は....

上流にあった心は、下流に至る頃にはすっかり姿を変えていた。
私は小さい穴ぼこを多く持つ心へと自分自身で変化させてしまった。
やる気が無くなった。というより想像をしすぎたせいでやりきってしまったと、脳が錯覚したのだろう。出かける用事がふと消えると私はすることが無くなってしまった。とても孤独で、劣等が小さい穴ぼこを広げていく。虫歯に気づくきっかけが歯神経の痛覚を刺激した時のように、私はどっと疲弊してしまった。すぐさま目を覚ました位置に横たわった。時間は長い。じっと横になっていても永遠があるかのように時間が進まない。

傷口に塩と分かっていながら、私は孤独を埋めるためにスマホの電源を入れた。10代の頃に自分と関わりのあった人たちのSNSを見出したら、また悪い癖で全てを見るまで知るまで、箍が外れたように深堀りが止まらなくなった。自分が不幸になるために人々の幸せを探しているかのような軽度の自傷行為にも感じた。

結婚をした人たち、すぐに離職し投稿が止まった人たち、趣味と仕事を両立している人たち、私と趣味で繋がっていたが今は何をしているかも分からない人たち、苦労をする人たち、子育てをしている人たち。

私の所謂本アカで全てのフォロワーたちの現在をざっと見終わった。残ったものは私の今後に続く2つの道だった。
1つは、夢を追い他者から優越を感じる未来。やはり金があると毎日を充実させる方法は拡張される。皆から誇りに思われる事での孤独の解消。その先にあるものは分からないが、中高生が大衆に望まれがちな夢を持つのはこの孤独も理由の1部なのだろう。
2つは、ただゲームをし、日々を過ごし、ささやかな幸せに感受性を集中させ、ただ時の流れに任せる未来。「私は一人でも充実し孤独を感じない」そういうスタンスこそ私だったが正直な所、それが見栄として自分自身に言い聞かせているのか、それとも本当に孤独ではないか、もはや分からなくなっている。

何年も何度もこの2つの道を行ったり来たりで模索しているが未だに分からないことだらけだ。今の生活でいうと2の道を進みながら、ずーっと1の道を見続けているような感じだ。1の道に続きが記されている地図として先日、本を注文した。日本語検定上級と国家一般職の教養・専門試験の過去問だ。2の道に不安を感じるたびに私はそれらの本を読み、1の道に切り替えるかまた試行錯誤することになっていくのであろう。

とても平坦なこの2の道を進み今日はこのまま終わりそうだ、という所である。些細な抵抗として、心の穴を一つ埋める作業として、この記録をここに残す。

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