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【今でしょ!note#21】 捨てられる銀行 〜地域金融機関の転換〜

おはようございます。林でございます。

今日は、2年ほど前に読んだ良書をインプットにして、銀行業界のリアリティに近づきます。特に、今後の日本活性化の鍵を握るプレイヤーの一つである、地域金融機関の置かれた状況を取り上げます。

橋本卓典さんの「捨てられる銀行」シリーズです。
2023年現在、捨てられる銀行1〜4まで発行されています。

前回まで連続で解説してきた戦後日本経済シリーズでも、企業の設備投資を支える銀行の融資や不良債権の話に触れており、あわせて読んでいくとより立体的に理解が進みますので、よければこちらもご覧ください!


地域金融機関の競争力低下の真因

日産ゴーン元会長の海外逃亡劇、東芝の粉飾決算、みずほのシステム障害など、社会で大きな問題として取り上げられる会社組織の記者会見では、「反論が許されない組織風土」「足元をすくわれた」など、数値では計測できない何かが問題の根本原因であると判断されることがほとんどです。

地元の優秀な人材を集めた地域金融機関が、付加価値のない低金利貸出の営業を競い合い、地域事業の目利き力を失っていく理由も、単に「低金利」だけでは説明が付きません。
この点について、「捨てられる銀行1〜3」では、行員が社内政治を優先してしまう組織文化に起因していることが取り上げられています。

ある地銀では、新卒の2割が退職し、多くは地元自治体に転職しています。地銀が地元の優秀な人材を集めたにも関わらず、時代錯誤な営業ノルマを強要したことが原因です。
最も若手を絶望させているのは、銀行が掲げたもっともらしい経営理念と、実際の現場で起きている、顧客のためにならない収益活動の著しい乖離です。

人間の嫉妬・過信・縦割り・組織のタコツボ化・無駄な会議は、人間の貴重な時間とやる気を奪っています。
それらを前にして、「やはり自分たちは無力なのか?」と思いがちですが、たくさんのネガティブな外部環境の中にあっても、変革を起こしている金融機関は存在し、その特徴は「学びの深さ」です。

普段、違う環境・立場にいて、それぞれの分野で想いを持って仕事をしている人たちが、双方のビジネスイノベーションを起こすことを目的として作られた「地域金融変革運動体、略してヘンタイの会」もその一つです。

金融機関トップ、金融庁高官、地域金融機関の有志が誰でも入れる環境に身を置き、直接的な対話ができる取り組みとなっています。


金融処分庁から金融育成庁への転換を目指す金融庁

世界的な大規模金融緩和により、銀行のビジネスモデルは大きな転換期の中にあります。預金を原資として国債や融資に資金を回すことで得る長期金利と短期金利の金利差では収益を得られず、規模にものを言わせる伝統的経営モデルが崩壊したためです。

金融庁は2017年、「金融処分庁から金融育成庁に生まれ変わる」と表明し、2019年に早期警戒制度を見直しています。
また、金融機関内だけでなく「金融庁⇔金融機関」、「金融機関⇔個人、企業」それぞれの関係性で心理的安全性を重視すべきというメッセージを打ち出しました。

2020年2月には、地銀版のコーポレートガバナンスコードと言うべき、8つの論点からなるコアイシューをまとめて、地銀が上場会社であることの妥当性も含め、根本的な地銀のあり方を問うています。


普通銀行乱立の背景

そもそも「日本にはなぜ銀行が多いのか」という経緯に触れます。

1985年のプラザ合意後の円高局面で、主力製造業が海外に生産拠点を移し、サプライチェーン全体として国内の資金需要が落ちていく時期に入っていた1989年、当時の大蔵省は、相互銀行(中小企業を対象に、相互掛金を主な金融商品としていた小規模金融機関)を一斉に普通銀行に転換させました。
これは、一元的な監督行政上のやりやすさと、普通銀行に成り上がりたい相互銀行の一部の短絡的な願望が結びついた形で実現されます。

しかし、同じビジネスモデルの普通銀行を乱立させた結果、普通銀行、相互銀行、信金・信組で穏当に棲み分けられていた地域金融エコシステムの崩壊を引き起こします。

現在、ビジネスモデル転換ができない第二地銀は、信金・信組のような非営利団体に衣替えしていくことも、十分現実的な選択肢となっています。

銀行は、利潤を追求し、株主還元を目指す株式会社ですが、信金・信組は、会員・組合員が望むことを叶えるのが使命です。
信用金庫の設立根拠となる信用金庫法には、「地域で集めた資金を地域の中小企業と個人に還元することにより、地域社会の発展に寄与する」ことが目的と記されています。

地銀合併は本質解決になっていない

乱立する普通銀行、人口減少による地方内需の縮小により、地銀合併が進んできました。

しかし、合併自体は解決策になっていません。
地域で事業を営み、雇用を生んでいる事業者を、地域の金融機関がどう支えていくのか、という現実の経済に目を向けなくてはならず、過去の金融仲介機能のあり方を見れば本質的な役割が見えてきます。

長野県諏訪市は、明治・大正時代に、生糸生産で驚異的な産業化を果たしました。養蚕業者が、製糸業者に繭を納入するまでの必要資金を供給してきた第十九国立銀行(現八十二銀行)は、倉庫からの入出庫通知を受け、荷為替前貸・繭担保貸付を行ってきましたが、これは現代の動産担保融資そのものです。

養蚕事業の動き全体を把握することが、養蚕業を支える地域金融機関として最重要です。1937年に設立された岡谷信用組合(諏訪信用金庫の前身)も、こうした金融仲介機能を担っていました。

事業性を見極められず、土地・建物といった不動産担保のみに頼って資金供給をしている銀行は、地域密着型の金融機関として恥ずかしい話です。

信金・信組の存在

日本の信金は、1951年に信用金庫法が公布・試行されたことで、それまでの信組から転換する形で誕生しました。

信組の歴史は、1900年の産業組合法の成立とともに始まります。
信金・信組の協同組織金融の起源となる産業組合法制定のきっかけは、1871年の岩倉使節団のドイツ視察にルーツがあり、その受け皿は、経済と道徳の融合を説いた二宮尊徳の弟子たちが引き継いでいます。

コロナ禍で中小事業者が改めて学んだのは、いざというときに裏切らないコミュニティバンクの存在です。中小企業支援でメディアに取り上げられた金融機関のほとんどは、信金・信組でした。

これは東京が、全国的にも稀に見る地銀不毛地帯だからです。
きらぼし銀行がありますが、中小企業45万社に対し、マンパワーはとても足りません。
メガバンクは、年商100億円以上の企業しかまともに相手をしないため、中小零細企業の相談先が信金・信組に殺到したのです。

日本の供給能力不足を支援する地域金融機関に

地域金融機関の生き残り戦略として、地域版総合商社や中小企業コンサルなどの非金融領域での事業収益を目指す取り組みに舵を切る動きがありますが、これらの取り組みが上手くいくために必要なことは何でしょうか。

地域版総合商社

全国の地銀で地域商社を設立する動きが広がっていますが、その殆どは地元産品の販路拡大目的です。
しかし、地元産品の販売だけでは、売上は数億円程度で地域経済に対するインパクトは限定的です。そこで、マーケットイン型の商品開発・生産・小売の商流を構築し、海外にも販路拡大を目指す「地域版総合商社」を目指す動きがあります。

中小企業コンサル

地銀の営業担当は、1人100社以上を抱える場合があるため、毎月全社を回り、じっくり経営課題を聞くことは不可能です。
付加価値提案型営業に切り替えるには、1人40社程度(これでも、十分多いと思いますが・・)とするための人的リソースの再配分戦略の必要性を指摘しています。

私は、「地域版総合商社」にせよ「中小企業コンサル」にせよ、今の地域金融機関の延長線上での実現は、かなり難しいとの見解です。

これまでの銀行のビジネスモデルしか知らない人が、いきなり新商品開発や販路拡大のノウハウを持てるわけはないですし、中小企業の事業コンサルも、事業審査と事業実行は全く別物なので、担当者に求められる能力が全く別だからです。
これらの能力を、行内研修や外部セミナーで身に付けるのもほぼ無理でしょう。

人口減少下にある地域産業の生き残り戦略は、何といっても高付加価値産業への転換です。
地元での供給能力(労働者数)が低くても、高価格設定・高生産性で稼ぐ仕組みを構築しようとしている事業プレイヤーに対して、地域金融機関が投融資などで支援する仕組みを活性化することに集中することを最優先すべきと考えます。

そういった高生産性の事業を担う地元のプレイヤーが増えれば、冒頭に述べたような優秀な人材が働き場所を都会か地元の自治体に求めるのではなく、地元の面白くて元気のある企業に流れていくので、各地域がよりリアリティを持った形で活性化できるのではないでしょうか。

それでは、今日もよい1日をお過ごしください。
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