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自分に生きる許可を与えたい

今朝、久しぶりに息子にキレた。
整体で腎臓を中心に施術してもらった影響で、「みんな私を馬鹿にしている」という感覚が吹き出したのだ。
言葉で落ち着いて説明すれば理解してもらえることなのに、「馬鹿にしている!」という感覚が平常心を失わせた。

これは「発達トラウマ」による影響であるとはっきり分かったのはつい最近。
それまでは、発達障害であるとか、何かしらの精神疾患であるとか、HSPであるとか、エンパスであるとか、本当にいろんな症状と病気を考えてきたけれど、最も「しっくり」きたのが「発達トラウマ」と「愛着障害」というものだ。

なぜはっきりしたのかというと、困った感情や症状が出るのは「体の不快感と連動している」と、ハッキリわかったからだ。
不安、焦り、怒り、悲しみ、孤独、このあたりのネガティブ感情は内臓のどこかしらが具合悪い時に出やすい。
しかも、「その時のネガティブ」にとどまらず「過去のずっと昔のもの」ですら今のことのように鮮明に蘇ってくるのだ。

これは幼少期、もしくは胎児、幼児の時に何かしらの影響で一定した期間にしっかりとした「安心」「安全」を得られなかったことによる自律神経系の発達不全からきているのだと確信した。(これが発達トラウマというものです)

親のせいにするとかそういうのではなく(そんな時期も長くあったけど)、「親もまた同じ境遇だったのだ」というところも理解している。そして恐らくこれは、日本人、または閉鎖的な関係を強いられる環境全てで起きている現象だと感じる。

私に関して言えば、生まれ育った東北という土地の歴史、人間関係を形成するのに必要な暗黙の了解的なルール、そういったものが子孫代々に脈々と受け継がれているのだと感じている。

例えば「思っていても言わない」という察して文化。「察しない人間に対する“気が利かない“」という理不尽な評価形式。「目立つ人間を疎む」という卑屈な精神文化。
そのルールを私は幼少期から見て育っているので、誰の言葉も正直信用ならない。人間は好きなのに誰一人信用できないので、常に外を警戒している状態だ。
なので、体は強張り、頭に緊張が走り、内臓は機能が不全だ。
常時神経を張り巡らせているので、疲れやすいし、集中力も散漫になりやすい。
眠っている時ですら緊張しているので、朝は頭痛で起きることが当たり前だ。
自宅にいても、家族の誰かがいるだけで、意味不明に疲れる。自分の子供であっても気を使ってしまう始末だ。

HSPの特徴に「一人の時間がないと耐えられない」というのがあるが、これも私の例えで言うと「自分以外の人間全てに警戒しているので疲れる」ということになる。

じゃあ自分一人ならいいのかというと、それも無理なのが問題を大きくする。
一人では不安だし、自分を形作る確かなものが「外の目や意見」だったりするので、誰もいない環境で自分を保ち続けるのも無理ということが発生する。

こんなのが幼少期から何十年も続いてきたとなると、いくらでも不調が起きるだろうと簡単に予想できる。


そんなわけで、今朝は内臓の不快感ゆえに息子にキレてしまったわけだが。
こういう癖は自分も他人も不愉快にするので、消えて欲しいまでは言わないけれど、可能な限り薄れて欲しい。
そのためには自律神経を可能な限り正常化するしかない。
本気で「発達トラウマ」を改善することを決意した。
これまで取り組んできたことは無駄ではなかったと思うし、同じ境遇の人にも繋がれるきっかけになるかもしれない。

「生きづらい」なんて言葉では言い表せないほどきつい人生だなと感じる。
でも、私はここまで生きてきたし、これからも寿命が来るまでは生きていたいと思う。なので、せめて自分に対して「生きてていいよ」と心からの許しを与えてあげたい。

誰も意味不明に自分を嫌ったりしないし、極端に好かれもしないけど嫌われてもいないんだということをちゃんと体感で理解したい。

そう、私はずーっと、ずーっと、「みんなに嫌われている。なんでかな? 辛いな。無視しないで」と全身全霊でカマッテちょうだいと訴えてきたように思う。
だから世間の「かまってちゃん」というのは私であるし、そういう人が大勢いるとも思う。

「大丈夫、嫌ってないよ。どっちかというと好きだよ。無視してないよ」

ただただ、そういう人と交流して生きていきたい。
実感したい。
まずはそれだけ得られたら、生きていられそう。




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