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2年前の夏もまた暑かった夏だったから…僕がベルフェイスをやめた理由

「やぁ西島くん」

少し汗ばみながら、エスカレーターを駆け上がる。
健康的で笑顔が素敵なスーツを着た人が僕を見てにっこり笑った。

「中島です。」「西島です。」

福岡、似たような名字。いろんな共通点があるなーなんて不思議な感じだった。

その日はたまたま、これから勢いを増し、数年後に上場を果たす企業の経営者と数週間前に上場を果たした経営者と会い、経営者と合うのはその日3人目だった。

「西島くんはどんな組織を作りたい?どんな人事になりたい?」

その時は僕はまだ「西島くん」だった。

「家族みたいな組織を作りたい。人の可能性にとことん向き合っていける人事になりたいです。」

「いいね、それやろうよ。」

気がついたら、出会って40分後、握手をしていた。

採用マーケティング、採用広報、ブランディング、PR、面接、グリップ、クロージング、アトラクト、いろんな言葉や手法があるけれど、その日、僕はそういった戦略的な部分を欠いた選択をした。

【ベルフェイスに行く】

その時々の意思決定で人生が変わっていく。
今回の意思決定も僕の人生を大きく変えていく。
でもその時はそんなことに気づいていなかった。

「今年が勝負ですね」と伝えると、
「いや毎日が勝負だよ」
と白い歯がこぼれたのが印象的だった。

早速先制パンチを受けたなと思って別れを告げた。

そういえば条件とか話さなかったな…笑

そう思って階段を一つ飛ばして降りた。
駅につく頃に汗ばんでいたのは夏のせいじゃなさそうだった…
多分、大人気なく興奮していたんだと思う。

その数日後、別の役員との面談で開口一番「君変態らしいね!」とオフィスで言われた。
いよいよ人事を立ち上げないとなと焦ったことはここでは割愛しておく。
初対面の人にそんな会話から始めたらクレーム物だ笑


プライドや肩書きは早めに捨てても全く問題はない

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最初の仕事はイスの組み立てだった。
ベルフェイスはITベンチャー…別にイスを作る会社ではない。

社員数が15人を超えたタイミングで渋谷の隣の隣の部屋に移転するためだった。みんなで色々と話しながらせっせと手を動かしていた。

純粋に楽しかった。元パイロット、元リクルート、そんな看板は一瞬で落ちた。

チープな表現だけど…家族みたいな組織だった。

会社を出ると前の駐車場でたまにストロングゼロを飲んでいる社員がいた。
全社ミーティングのときにプロジェクターが映らず15分も開始が遅れた。
寝坊で1時間遅れで来る人もいた。
売上は今の多分4分の1くらいだった。
応募者は毎週1人来れば良い方だった。
社会人になっていろんな経験をしてきたけど、どの経験も積んだことがなかった。

楽しかった。

どうやったら良い人が来るのか、どうやったら、良い組織になるのかそういうことばかり考えていた。

ないものが多いから、やっている意味がわかりやすかった。
なにもないところから作り出すことの難しさと面白さと何より泥臭さをものすごく肌で感じながら仕事をしていた。

もちろん、ちゃんと人事っぽい仕事も一応していたので共有笑

カオスな環境で笑える人間なんだなって気づいたのはこのときだった。


殺戮的なスケジュールと社長直下と

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「社長直下」という言葉には本当に救われたし、同時にしんどい思いもたくさんした。昨日言っていたことが変わる。優先順位が変わる。

本当に頻繁に起きた。

それでも、要件定義、メッセージング、エージェント開拓、スカウト、Wantedlyの運用、記事のインタビュー、ライティング、採用広報、面接、面談…

待ったなしで、動きながら頭で考えていく。
中途採用が回り始めた頃に新卒採用を立ち上げた。
目まぐるしい日々だった。

パーソナルトレーニングジムを辞めた。
彼女と別れた。
部屋はどんどん汚くなった。
旅行も行かなくなった。
休みの日に友だちに会うことがなくなった。
体重はどんどん増えていった。
レッドブルもコーヒーもどんどん量が増した。
ON/OFFの概念がなくなった。

でも本当に本当に幸せだった。

当時、採用で勝つにはどうしたら良いのかな?
と考えていた時に…

「向き合う強さと経営陣、中にいる人の魅力」だった。
会って魅力づけするしかないと腹をくくっていた。
だから殺人的なスケジュールをこなせたと思う。

気がつくと新卒も中途採用も含めて年間で2000人くらい会っていた笑

ある日、さすがの社長も、「ゆぞがどこ日程が空いてるかわからない、むしろ大丈夫?」と心配するほどだった笑

当時書いた文章があるが、やはり身体がおかしくなっていた。

これは仕事ではなく、ハンモックのせいだったけど笑

なんでそんなに頑張れるの?とよく聞かれてたけど…
多分、会社の人たちが良い人が多かったから。
そして、選考で会った人たちが本当に素敵だったからだと思う。

年に何回か手紙が届いた。
そういった手紙が届くたびに元気になった。
(お礼状で結果は変わらないけど、人事は元気になりますよ)

手紙

これはもはやラブレターだ。大丈夫、変なことはしていない。
選考して内定した人から感謝をつげられることはなかったけど、選考途中で辞退になった人から手紙をもらうのは珍しかった。

肉体的にはしんどかったけど、なんだか「生きてるってこんな感じだなー」といつも帰宅する散歩道で思っていた。

ウインナー人事とヒール人事と

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ちょうど入社して1年ほどして、少しだけ温めていたTwitterで一気に世の中に自分の名前が知れ渡った。

『ウインナー人事・爆誕』

何度もいろんな記事でも書いたけど、ウインナー人事は下ネタではない。

発信が誰かに届いて、誰かの行動を変えていく。
それが面白かった。しょうもないことも真面目なことも色々とバランス良く作っていこうと思っていた。

登壇イベントは半年で10本以上に、インタビュー記事は数十本にもなった。
本当にありがたかった。ベルフェイスの名前がどんどん響かせられると思っていたから。もちろん、個人ブランディングもできたし、どんどん話すのがうまくなっていった…気がしていた笑

感謝してもしきれないくらい貴重な体験をさせてもらった。

Youtubeにも出させてもらった。
どんどん露出を増やしていけば、興味関心を引ける。
応募数は増えると思っていた。

その当時、SNSを使う前は中途採用の月間の応募者は150名程度だったのが、数ヶ月で500名程度になった。新卒採用も昨年の2倍に応募者が増えた。もちろん、会社のCM効果とかCSの頑張りとかプロダクトの秀逸さとか諸々あったけど、ガンガンに伸びていた。

限られたリソースで体制を構築していく。
効果がどんどん出ていることを実感していた。

身に余る表彰も受けた。

たくさん登壇して、たくさん発信して、たくさん時間を取られて…
ただ、元々ギリギリだった自分の時間はどんどんすり減っていった。

バズることへの嬉しさと違和感と

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記事が毎月出る。登壇する。自然と賞賛の声が多くなる。
内容も成功者としてのインタビューが多いからそら当然だ。

嬉しかった。成長を実感していたし、できることがどんどんできて、インタビューされるごとに型化できていた気がした。

外に出るとすごく心地よく、逆に社内では今までやっていたことがおざなりになっていった。

『そこまでできてないよ…』という想いと、『もっと時間を使うべきところがある…』という想いと、でももっと外に発信しなきゃという想いと。
いろんな気持ちが錯綜していた。
少なくとも、どこかでこのギャップに悩み始めていた。

業務委託を使うのが上手いと言われていた。
心のどこかで組織を作れない自分が不甲斐ないと思っていた。

採用が上手だと言われていた。
本当はもっと社内の人に向き合いたいと思っていた。


経営に対し、モノが言えないことがものすごくモヤモヤしていた。
これは経営の問題ではなく、僕の問題。
会社の成長曲線がえげつないくらいの角度の中で、自分も追いつこう、追い越そうと自分の成長曲線の角度を踏ん張って保っていた。

でもどこかで追いつかなくなってきた。めっちゃきつかった。

自分が事業をすすめる上でボトムになっている気がしていた。
(多分、そうではなかったんだろうけど…)
転職を考えだしたのはもしかしたら自分自身の中からだったのかもしれない。

ベルフェイスを退職した理由

色々と語ってきたけど…大枠はここで語っています。

①新しいチャレンジがしたい(より介在できるところへ)
②会社の方向性と自分の考えのギャップ
③戦略的キャリア構築

だんだんオペレーションを整えていくフェーズになるところに対して本腰が入れられなくなっていた。
自分の不甲斐ないところは誰かに頼れば良い。
会社として次のフェーズに行くとはまさにそういうことだと思っていた。

実際にベルフェイスには沢山の人が入ってきて、すごいことになっていた。

ただ、どこかで違和感を感じていた。人事の立ち上げフェーズでカオスな中でゴリゴリに動いていくことが終わりかけ、この延長に自分のやりたいことがあるのだろうか?と思うようになっていた。

もちろん、同時に色んな会社にも声をかけてもらっていた。これは本当にありがたかった。嬉しかったしちゃんと自分がやってきたことが伝わっているんだなと。この場を借りて感謝します。

実は全日本空輸をやめるときに言われた言葉が未だに残っている。

「一番意外な決断が自分の人生をワクワクさせてくれる」

転職しよう。
波に乗っているSaaSという業界、ベルフェイスというプロダクト、面白いアウトプットやCM、誇れる社員。
まさに『飛ぶ鳥を落とす勢い』。
そんな言葉が合うくらいすごい会社だと思っていた。

やっぱり立ち上げ、カオスな中で笑いながら走っていく方がワクワクした。

ベルフェイスはカオスだったけど、もっと違ったカオスを求めたいと思った…

人生は意外な方向に進んだ方が楽しくなる。だから僕は次のキャリアを選んだ。


拝啓 ベルフェイスの皆様へ

どこまで届くかわかりませんが…

数ヶ月前に全社MTGで社長が「ゆうぞう経由で入社した人?」って聞いて、本当に8割位の人が手を上げてくれました。
僕がやってきたことの意味と結果が少しだけわかった気がしました。
(今はだいぶ変わったのかもしれないけど…)

2年間、アホみたいに働いてきました。
「顔が死んでるよー」
「ゆうぞうさん大丈夫?」
「記事見ましたよー」
「バズっていますね!笑」
会社に行くたびにたくさん声をかけていただき、救われていました。

こんなに頑張れたのは、自分の成長ではなくて、入社してくるメンバーが本当に素晴らしくて、良い人で、僕が会社を成長させたではなく、みなさんが僕を成長させてくれたんだなと思いました。

ベルフェイスは2年前と変わりました。
毎月約500人を超える人が入社したいと言ってくるようになりました。
CM、記事、顧客、会社のブランド、そして人が、武器になりました。
十二分に選ばれる会社になったと思います。

変わることは悪いことではありません。
強いものが残るのではなく、変わっていけるものが残るのです。

だからベルフェイスは変わると思います。

その変化をどうか楽しんでください。
理不尽なことも戦略的に変なこともあると思いますが、社長を自由にしてあげる組織でいてください。

僕も強くなります。

だから数年後、もしかしたら数十年後になるかもしれませんが、また一緒にみなさんと同じ船に乗れるように頑張ろうと思います。
たまにはオフィスに遊びに行かせてください笑


あ、次ですか?

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次は50年近く続く革を使ったカバン屋さんで世界に挑戦します。

まさかの製造業、まさかのメーカー、まさかの老舗。最高でしょ?笑

色々と落ち着いたら、また次の会社のことについては書こうと思います。
長くなったので今日はこのへんで。

リクルートで人材や人事のいろはを学び、ベルフェイスでベンチャーの立ち上げとアーリーステージの戦いを経験し、50年続く中小企業でHRで世界が変えられたら、面白いキャリアになりそうじゃないですか?笑

バラバラに見えるかもしれませんが、意外とちゃんと考えていますよ笑

ということで、ありがとう!ベルフェイス!

訳あってまだ会社のことをべらべらと外に情報を出せませんが…
色々と出始めたら、なにか西島動いたんだなと思ってください笑

乞うご期待!

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