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【今日読んだ本】同志少女よ,敵を撃て(逢坂冬馬著)

読書記録として。


ストーリー

独ソ戦が激化する1942年、モスクワ近郊の農村に暮らす少女セラフィマの日常は、突如として奪われた。
急襲したドイツ軍によって、母親のエカチェリーナほか村人たちが惨殺されたのだ。
自らも射殺される寸前、セラフィマは赤軍の女性兵士イリーナに救われる。「戦いたいか、死にたいか」――そう問われた彼女は、イリーナが教官を務める訓練学校で一流の狙撃兵になることを決意する。
母を撃ったドイツ人狙撃手と、母の遺体を焼き払ったイリーナに復讐するために。
同じ境遇で家族を喪い、戦うことを選んだ女性狙撃兵たちとともに訓練を重ねたセラフィマは、やがて独ソ戦の決定的な転換点となるスターリングラードの前線へと向かう。
おびただしい死の果てに、彼女が目にした“真の敵"とは?

(Amazonのサイト内本の概要より)

書き出し

 一九四〇年五月
 薪割りの音が、春の訪れを告げる暁鐘のように、小さな村に響き渡る。
 お隣のアントーノフおじさんは風邪が治ったんだ、と十六歳の少女セラフィマは安心した。肩まで伸びた髪をお下げに結わえると、壁にかけてあったライフル銃を手に取った。
「行ってくるね」

感想

戦争を扱った小説はあまり得意ではない。
目を背けてはいけないのだけれど、人よりもリアルに感じてしまう傾向が強く、吐き気がしたりと、トラウマ気味になるためだ。

だから戦争映画も見ることができない。
『ハリー・ポッター』シリーズとか、『ロード・オブ・ザ・リング』のようなファンタジーや、大河ドラマなどは、かけ離れている世界なので、必要以上に同化しないで済むのだけれど。

なので本来ならば手に取らないジャンルである。
だけど、デビュー作で、本屋大賞にノミネートされた作品で。
さらに表紙の少女が凛々しくて。
彼女の生き様を見てみたいと思ってしまった。

概要を知っているため、冒頭の穏やで平和な村での時間が切ない。
そして、ただ一人生き残ってしまう悲劇と慟哭。
「戦いたいか、死にたいか」
到底どちらも選びたくない2択を突きつけられて。
ここで死にたいと、生きる気力を失っていた主人公セラフィマが、結果選んだ道。
それは狙撃手となって戦うこと。

「生きたい」から選んだのではない。なぜなら「生きる」とは、未来があり希望があるから生まれることだから。
未来も希望も彼女の中に存在しない。
何も考えず、ただ目の前の敵を撃つ。
撃たなければ誰も守れないから。

母や村の人たちを守れなかった贖罪のように、目の前の敵を淡々と、時には歌を口ずさみながら射殺していく。
過酷な訓練での荒んだ日々の中で同じ境遇の狙撃少女たちと心を通わせていくのに、それも戦争という地獄の中で、彼女たちが次々と死んでいく。

本当に、次々と人が死ぬ。
考えるな、お前は正しい。
教官の言葉を一筋の光のように、淡々と繰り返す。
人の死を悼めなくなるほどに。

『1カ所にとどまるな!
自分の撃った玉が最後だと思うな!
相手を侮るな!
賢いのは自分だけだと思うな!』

自分がもし彼女のように、ある日突然村の全てを焼き払われ、生きる場所も希望もなくして,他に道はないと、狙撃手にならざるを得なかったら?

あり得ない。
万が一なろうと思って訓練をしたところで、教官の言葉などすっ飛んで、狙撃をしたあともたついて、あっさり敵の狙撃手に撃たれてしまうだろう。

考えただけでストレスフルだ。胃が痛くなる。
これは物語かもしれない。だけどこんな現実しか生きれなかった人たちがいたのだ。
SMAPのトライアングルの歌詞に出てくる少年兵のように。

唇を噛み締めて、なんでだよ、と泣きたくなる。

でも不思議と辛すぎず、トラウマにはならなかった。
わずかな光が物語の片隅にいつも見えていたからかかな。

戦争は本当に嫌だよね。
いいえ。
平和が大好きだと言わなくちゃ。

どうか愚かな争いが一つでも多く,世界から消えてなくなりますように。


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