見出し画像

災害は忘れたころにやってくる

ポジティブな話は多くの人が書くはずであるため任せる。

女性は特に、他者からもたらされるネガティブを嫌う傾向が強いため、きっとその方が好まれるだろう。

子供を身ごもる機能が備わっている女性は、連帯感や共感、他者との連携を重要視する。

命に関わるからだ。


本編に入る前に、珍しく小話を挟もう。

宝くじを買ったことがある人は多いはずである。

当たれと思っているとなかなか当たらないが、買ったことを忘れている人ほど当たる、当たる気がしてならないと直感を信じた人が当たる、という話がある。

一方で、宝くじは愚か者に課せられる税金とも言われる。

期待値を考えると当たると信じて買う人の気が知れないが、夢を買う、当たるかもしれないという期待に満ち溢れた時間を買うと考えると悪くはない。

さあ、心のどこかで当たると思っている、または直感で当たると確信している前者と、心のどこかで当たらないと思っている後者。

期待値を超えた結果を得られるとしたら、この両者の心理の共通点に答えがある気がしなくもない。

自由なnoteでこそ記述できる話だなと書いていて思う。

まあともかく、今回のテーマにした災害も同じく、とりわけずっと言われている南海トラフ巨大地震も、心のどこかで起きるかもしれないと思わざるを得ない。

いや絶対に起こらないと思う人もいるかもしれないが、備えるという点においては前者の方が有利である。

起こってからでは遅いからだ。


さて、あの東日本大震災から早くも13年が経過した。

今年は元旦から能登半島地震が発生したことも記憶に新しく、最近では関東をはじめとした太平洋側で発生する地震が気になるところである。

地震だけではなく、気候変動を要因とした災害が激しく、それも頻発していることは政府も把握し、憂慮しているようである。

近年、気候変動等の影響により災害が激甚化・頻発化し、平成30年7月豪雨、令和元年東日本台風(台風第19号)、令和2年7月豪雨など、これまでの想定を超える災害が全国各地で頻繁に生じている。一市町村の中で住民の避難を完結することが困難となるような広域的な災害が増加していることから、他の市町村等へ行政界を超えた避難(以下「広域避難」という。)の必要性が指摘されている。

水害からの広域避難に関する基本的な考え方|内閣府(防災担当)

今後は、広域避難も多々行われることになるだろう。

【図1】水害からの広域避難に関する基本的な考え方|内閣府(防災担当)

海岸線や川沿い、低地に広がる平地などでは津波や川の氾濫などの水害を恐れ、一方で内陸だと安全かというとそうでもなく、土砂災害を恐れて生活しなければならない。

日本は割と大変なのである。


さて、そこに追い打ちをかけるように、日本は地震大国でもあるわけだ。
同じく内閣府に資料があるため、紹介しておこう。

【図2】我が国で発生する地震|内閣府

日本の近辺にプレートの境界があるというよりは、プレートの境界に日本が位置している。そして、地震はプレートの境目でそのほとんどが起きていることがわかる。

つまり、日本人はわざわざ危ないところに住んでいるわけだ。

【図3】我が国で発生する地震|内閣府
【図4】我が国で発生する地震
【図5】我が国で発生する地震|内閣府


これに、火山の噴火を考えると、日本に安全な場所はないだろう。そして、津波も考えなければならない。

なぜ、南海トラフ巨大地震が起きると言われているかと言えば、大きな地震は周期的に起こると推定されているためだ。

【図6】我が国で発生する地震|内閣府

物理的一方向に一定の力が加わり続けると、そのストレスは定期的に発散されると考えて差し支えないからだ。

まるで鹿威ししおどしのようなものかもしれない。

竹筒のようなものに水がたまると傾いて水を解放すると、「かぽーん」というやつである。

【図7】鹿威しと波紋

この図7画像の波紋に注目してほしいが、水もこのようにストレスが周りに広がる。

これが、海で起こると津波としてやってくるわけだ。

津波が何度もやってくると言われる理由は、画像を見て想像が十分にできるだろう。

おまけに、その波紋は陸や壁にぶつかると跳ね返る。

跳ね返った場所から、また同じように波紋が広がり伝わることを考えなければならない。


リスクを制することで生き残ってきた

我々は、さまざまなリスクを制することで生き残ってきた。
たとえ、それが行き当たりばったりだったとしてもだ。

でなければ、とっくに日本人は絶滅していたことだろう。

わかっているはずだが、我々はネガティブから逃げるべきではない。

必要なのは、ポジティブもネガティブもその両方であって、メリハリをつけないといつまでもお花畑である。

この話は投資にも通じるが、その話はやめておこう。

最後に、恒例になった法にも触れておく。

災害対策基本法

昭和三十六年法律第二百二十三号

この法律は、国土並びに国民の生命、身体及び財産を災害から保護するため、防災に関し、基本理念を定め、国、地方公共団体及びその他の公共機関を通じて必要な体制を確立し、責任の所在を明確にするとともに、防災計画の作成、災害予防、災害応急対策、災害復旧及び防災に関する財政金融措置その他必要な災害対策の基本を定めることにより、総合的かつ計画的な防災行政の整備及び推進を図り、もつて社会の秩序の維持と公共の福祉の確保に資することを目的とする。

災害対策基本法 第一章 総則 (目的)第一条

災害対策基本法は、社会の秩序の維持と公共の福祉に資することを目的としている。

こうして考えると、戦争や紛争に巻き込まれることも同じことだと思うが、なぜ、防衛に関しても同じ目的で考えることができないのか謎である。

憲法改正しないと出来ないなどと言う意見があるが、理解に苦しむ。


さいごに

そうでもしないと困る人間や組織が背景にあるのか、あるいは国家の力をただ強くしたい権力を持つ人間の画策によるものなのか。

いずれにしても、その答えはそのうちわかるだろう。

問題は、子供を育てる一般の国民がそれをただ、良しとするかどうかだが。

かつてのように、まるで子供の命を国に捧げるために育てたようなものだと言われないようにしないと、あとが大変だと心から思うのだが。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?