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青いノート 1995年4月1日

海外旅行から帰ってきた。
その旅行で2年ぶりでKに会った。彼が日本に来ていた時はとても素敵で、天使のような人だと思った。再会してみるとそれは少し変わってしまっていた。
日本に来ていた時は、涙をこぼしてなぜ別々の国に住んでいるんだと悔やんでいたくせに、彼は自分の国で長く付き合っている彼女と生き生きと暮らしているではないか。
しかも手紙には、早く会いたいだのいつこっちにくるのなどと散々書いていたっくせに、会ってみれば目線さえ合わない。
私がまだ自分の事を忘れられずにいたら困るといった気持ちが見え見えだった。

なんだかがっかりしてしまった。それは、彼が私を好きではないということにではなく、彼がつまらない人間に見えてしまったからだ。

私が今更彼に言い寄ったりするとでも思ったのだろうか。私だってそこまで馬鹿ではないし子供でもない。今更、彼女との間にゴタゴタを起こすつもりは毛頭もないのに。だから私は少し惨めだった。彼女に悟られまいと彼とはロクに口も聞かなかったし、別の人といた方がずっと気が楽だった。私だってこの2年間他の恋をしたし、お互い様といえばそうなのだが。
だから今日、思い出の品を全部捨ててしまうことにした。こんなものを大事に持っているのは気持ちが悪い。なかったことにしてしまえば、それで済むのだから。
今は、彼らの幸せを考えるだけだ。
違った国の空気を吸って生きていく。今回その事を知るのに良い機会だったと思う。これが一番良い結果だったと思う。

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卒業旅行で友達とドイツとイギリスに旅行へ行った。人生で2度目の海外旅行。
ドイツは、ミュンヘンに知り合いの学生を訪ねて行った。
私たちが専門学校に在学中の時に、ドイツから美術大学の教授と学生(美大学生&院生)を招いて行われたグループ展とワークショップがあり、私たちも参加した。そこで知り合いになったドイツ人学生を訪ねて行ったのだ。
ワークショップでその中の一人と私はなぜか急接近した。彼は、教授の一番のお気に入りで、中でも一際目立ていた。多分年齢にして30歳くらいだったんじゃないかと思う。20歳そこそこの私からしたら、到底おじさんだけど、美術関係の大学院生はかなり変わり者だし、作品も奇抜で感覚的で私たち若い学生達はかなり刺激を受けた。なんだかとってもかっこよく見えたのだった。それで、世間知らずの私はふらりと吸い寄せられて行った。ワークショップ以外の時間で私たちグループは都内の色々なところへ行ったり飲みに行ったりした。
そして、ある晩みんなで飲んだ後、明治神宮あたりを散歩していた時、私とKは、ふらりとグループから離れ誰もいない神社の敷地でキスをした。
こんなシチュエーションは、当然初めてだったし奥手の私にはこれがファーストキスだった。
その当時、私がどういう気持ちだったかは忘れてしまったけれど、きっとドキドキした嬉しい気持ちと、逃げ出してしまいたいという臆病な気持ちが混在していたように思う。それからまた私たちはグループに合流して普通に過ごした。

相手からしたらきっと思わせぶりで訳がわからないといった感じだったと思う。当然だ。相手は30過ぎの大人の男で、一方こちらは自分の気持ちさえわからない子供。
結局、彼らの3週間ほどの滞在の間、付かず離れず、それ以上のことは何もなく彼らは自国へ帰って行った。
その後、夢みがちな私は、馬鹿みたいにエアメールを何通も送った。時には短い手紙、時には個展の案内ハガキが返ってくるのをワクワク待っていた。
当時は便利な翻訳アプリどころか、スマホさえなかったので、英語もよくわからなかった私は、辞書を引き引き断片的な意味を拾って手紙を楽しんでいた。

そんな思い出を全部、小さな木箱に入れて2年間大切に保管していた。
そして、ついに卒業旅行でクラスの友達とドイツに行くことになり、彼との再会を果たしたのだ。当然2年も経っているし、その間文通をしていたとはいえ、30代の男性、彼女の一人や二人いてもおかしくない。当たり前のことだ。
実際、彼には年下の彼女がいて、同棲していた。
一方私はといえば、まだまだ恋に恋する奥手の痛い女子。当然彼氏もいなかった。「私も違う恋をした」と言っているのは、片思いのことだ。
彼が、彼女と同棲している事実を知って、内心ものすごく傷ついていたんだと思う。必死にこれで良かったと自分に言い聞かせているのが、我ながら悲しいし、かなり恥ずかしい。

こうやって、少しづつ大人になっていったんだな、自分。

それから数年がたったある日、私は彼にもう一度再会することになる。私はすでに社会人になって数年目に入っていた。専門学校の講師と交流のある学生時代の友達から連絡が入って、Kが、専門学校主催のワークショップで来日していて、誰か会いたい人はいるかと聞かれると、他の友達と私の名前が上がったらしかった。私達は、彼のワークショップ最終日のプレゼンテーションとその後に企画されていた校長主催の打ち上げに招待してもらった。

彼は大学院を卒業し、新人のアーティストとしてすでに注目されていた。
若い学生たちで埋め尽くされたワークショップの会場の一番後ろの席で、彼の作品への取り組みや執着の仕方は、ちょっと普通ではないなと内心一歩引いて見ている自分に少し苦笑いをしながらプレゼンを聞いていた。学生時代は憧れに感じたエキセントリックな彼の部分だったが、社会人になった私は彼のことを「相当の変人だな。」と感じてしまった。

自分が、社会人になってつまらない人間になってしまったのか、彼が、頭のおかしい芸術家なのか。きっと、彼は昔会ったままの彼なはずなので、きっと変わったのは私の方なのだろう。

でも、ある意味変人であり続けることの方が、難しい。
変わらず自分を貫くことの方が百倍大変なのだ。だから、そんな彼を尊敬する。

ワークショップの後、私達は校長や他の教員、私の友達と一緒に居酒屋へ移動した。しばらく、別々に座っていたが、途中から彼と話す機会ができて、私達はお互いの近況を報告しあった。彼は2歳になる息子がいること、未婚ではあるがパートナーの女性と一緒に暮らしていること。息子は少し体が弱くて心配していることなど。
私は、働いている会社で数年目になること、仕事も任されるようになってきたこと、最近リストラがあってたくさんクビになっているが、私は今のところ大丈夫そうだと。
そんな当たり前の、たわいもない会話をしてから「明日も朝が早いから」と言って私は、ひと足先に飲み会を後にした。

彼は、居酒屋の建物の外まで私を見送ってくれ、笑顔で「では、またね」
と言って別れた。きっと、お互い心の中で「私達は全く違う世界の人間だ」と感じたに違いない。でも、それがとても心地よかった。

一人の帰り道、私は心の中にキュンキュンするような恋心でもなく、メランコリックな気持ちでもなく、ちょっと微笑ましいほんわかした気持ちを胸に家路についた。

書きかけで、ほったらかしていた文章に、「。」をやっと書き足したような。
そんな気分だった。

それから、彼と会うことは一度もなかったが、ネットで久しぶりに検索してみたらすぐにヒットした。彼はオーストラリアに移住し、いまだにアーティストとして活動しているようだ。昔とちっとも変わらない、かなりの変わり者に違いない。

彼が幸せでありますように。(今度は強がりでなく心の底から)そんなふうに思ったのだった。


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