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頑張る方向

「嫌なことをしてなければいい」


インスタでちょこっと書いたことを、もう少し掘り下げてみようかと思います。

「頑張る」には何パターンかあります。
私が今までやってきたのは、誰かに認められるために「頑張る」。
でも、今始めたいのは、自分が行きたい方向を向いた「頑張る」。

BTSのRMが言っていた、
「人生は速度ではなく方向だ」
という言葉が強く心に残ってます。

10代の頃

劣等感の塊だった私は、どうにかして周りの人みんなに好かれたかったし、認められたかった。
(当時は未診断だったけど)おそらくASDの影響で人付き合いがなかなか上手くいかなかったんです。
でも、中学に入る頃、
「周りの人に認められる」
その願いが叶うことになります…

勉強ができると褒められる」という文化によって。

褒められるのは嬉しかったし、「やっとみんなが私をみてくれるようになった」と思いました。
でもその反面、「私は頭が良いわけじゃないのに」と、その賞賛を否定したくてしかたなかった。

何かを頑張って誰かに認められるって、
「努力」であり、「キツい」ものでなければならないって思ってた。

でも私が得意だった学校の勉強や受験は辛くもなんともなくて、
ただ好きなことを満足行くまでやっていただけ。
私にとって「努力」も「キツい」も存在していなかった。

だからずっと自信がなかったんです。

何も頑張っていないのに褒められて、
すごいね。って一目置かれて…

「違うんだよ」「何も頑張ってないんだよ」って、心の中でずーっと否定してました。

大学を卒業して、同期が当然のように就職していく中、定職に就かずに実家暮らしをする私を、みんながどう思ってるのかすごく怖い。

優等生のままでいたい。
かっこ悪いのが恥ずかしい。

優等生としての価値を失ったら、、、?

※あくまで私の中での感覚だけど、
当時の私は、みんなの輪の中にいる
というよりは、
周りのみんなより上に位置することで、仲間はずれから逃れていた

っていう感じなんです。

輪の中にいる
上に位置する

だから、このステータスを失ってしまえば
蚊帳の外に逆戻りだし、むしろみんなに見下されてしまう。
(揚げ足の取り合いの世界を生きてる感じ)

一通のメール

そんな時に、ある学生の知り合いと連絡をとる機会がありました。

話の中でその子は今、「通信制の学校に通っている」ということがわかりました。
私は特に気に留めず、
「そうなんだね〜」と返しました。

でも、それがその子にとっては意外な反応だったみたいです。

やはり、通信制の学生に対する周りからの反応はあまり良くないみたい…。

なんて返そうか迷いました。
私は、「好きなようにしていいんだよ」
って返信しようとしたけど、思いとどまりました。
少し考えて、
嫌なことしてなければいいよ」って返信しました。
その子は「確かにね」と返してくれただけだけど、

この自分の言葉が妙に自分に刺さりました。

きっと、この言葉を1番にかけてあげたいのは自分なんだろうなと。
好きなことを見つけるのが難しいのは知ってる。
だけど自分の大事な人が、無理して我慢して嫌なことをしてるのは嫌です。

「誰かの評価なんか」とはまだ言えないけど、
「誰かに認められるために」したくないことを頑張らなくてもいいかもしれない、と思いました。

頑張って仕事をしようとして体を壊さなくても
精神を病むほど無理しなくても
みんなと進む速度が違っても
進める距離が違っても

それより自分の進みたい方向をちゃんとみてあげようと思います。

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