見出し画像

本当はお喋りな自分

頭が一番お喋りで、次は指。

どんなに疲れていても脳内の呟きはまないし、何にもやる気が出ない時も指が勝手に文字を書き連ねていることがある。

(「書けない」と思いつつ書き出した一文も、気付けばこうして数行に増えた。
このあとも長々と文章が続くので、お時間があればお付き合いいただけたらと思います。)



感情が、知らないうちに顔に出ていることがある。

人に指摘されて「出ていたのか...!」と気付くのは恥ずかしい。
顔に出るほど感情が高ぶっていたのだと思うと、まだまだ把握しきれていない“自分”がいることに驚くし、何だか不思議。

涙も、急に出てくると驚く。
しまっていた自分の気持ちを誰かに打ち明ける時に、泣いてしまう。

「どう思った?」
と聞かれるのは苦手だ。
書くことで、ゆっくりと整理できる。
自分の感情に鈍感な方だと思っている。



普段の私は、どんな顔をしているのだろう。

食事をしている時とか、車を運転している時とか、スマホやパソコンを見つめる時とか。
“他人に見られる意識”をそこまで張っていない何気ない場面で、自分はどんな風に見えているのだろう。

知らない自分の一面で気持ちを勝手に読み取られてしまうのは、ずるい。
どんなに気を遣っても、見せたいものを見せようとしても、かばいきれないものがあって日々苦労しているのに。

感情が意図せず表に出てしまうことは仕方ないとして、せめて表に出す量くらいは自分でコントロールしていたい。
(そういえば辞めた職場では「甘いものを食べる時だけは嬉しそうな顔になるよね」と言われた。
毎日つらい顔ばかりしていた頃の話だ。)


“他人への意識”を張っている時は、反射的に表情と声音こわねがつくられる。

時々自分でも驚くほど高い声が出たり、無駄に口角を上げすぎていたり、大袈裟に相槌を打っていたり。
会話しながら自覚し、「またやっちゃってるなぁ......」と小さく息を吐く。

気を遣いすぎることのない相手にもそれが出てしまうのは、少し悲しい。

相手を信頼していない?
打ち解けきれていない?

“他人”というだけで緊張してしまうのだろう。
私の態度が、相手に不信感を抱かせてしまっていたら申し訳ない。


仕事仲間のようなある程度の長さの付き合いなら、最低限の緊張感を保ちつつ、かと言って壁を感じさせない、遠すぎず近すぎない距離で会話したい。

……それが、難しい。

気がゆるむと素の自分が漏れ出て、あとからひたすら後悔することもある。
逃れようと警戒すると、不自然にかしこまった言葉を使ったり口数が少なくなったり。

素の自分は、話の順序はあやふや、主語は欠落し慣用句やカタカナ語は曖昧、途中で噛んだりもごもごと詰まったりするのが常だ。

それらを挽回しようとすると早口になるし、「話さなきゃ、返さなきゃ」と焦るから、話し始めるタイミングや答えるタイミングも急ぎがち。
(もっと無理なく自然体でいられたらいいのに!)




「話す」よりも「書く」方が好きだ。

本当は、話すことだって好き。
お喋りは楽しいし、ストレス発散にもなる。

でも、苦手。間違いなく不器用。
ストレスの原因にだってなってしまう。

書いたものは形に残るから、見直して修正できる。ミスの多い私は安心して間違いを取り消せる。
(LINEみたいな瞬発的な文字のやり取りは、正しさよりもノリを重視して誤りの有無を気にせず送信することもあるけれど。)

だけど口から放ってしまった言葉は、どうしたって取り消せない。
取り繕うための言葉をあとからどれほど並べても、一度耳に入ってしまったものを完全に無かったことにはできない。

心を許せる仲ならばいい。
多少の間違いは流してもらえるし、指摘されて笑いに変えてもらえることもある。

そうではない他人の前で、ちぐはぐな文法や幼稚な言い回し、思うように話をまとめられず語尾が消えかかってしまったあとの、気まずさ。

わざわざ正しく言い直すのも違う、終わった話題を掘り返すのも違う。
会話には流れがあるから、その流れを断ち切るのはかなり勇気がいる。

そもそも話すことに精一杯すぎて、自分がどう間違っていたのかもはっきり覚えていない。(変な言い方をしてしまった自覚だけはある。)

伝えることに必死でいると、誰かを不快にさせたり悲しませたりするような発言をしていても、すぐに気付かないことがある。
時間が経ってふと思い返し、「良くなかったのでは......!?」と慌てることもしばしば。

言葉は見えない刃物になり得るからこそ、「話す」というやり取りは私をさらに臆病にさせ、苦手意識を募らせる。

ちなみに会話が弾んだ日でさえ、夜になると“ひとり反省会”が始まる。
もっと気の利いた返しができたはずだとか、本当はこう答えることを求められていたのではないかとか、終わりのない問答を枕元で繰り返しては落ち込むのだ。



原稿やメモがあれば心強い。
むしろマニュアルがあれば、話すのは得意。

仕事(接客業)では、お客様とのやり取りやアナウンス文など言い慣れているものなら大丈夫。

でも、アドリブは苦手。
相手の反応が瞬時に予測できないものや、予期していない事態を目の前にすると、必ず慌ててしまう。

そういう時、頭の中に伝えたいことがあっても咄嗟に口が対応できなくて、出てきた単語を無理やり繋げるからしどろもどろ。
「落ち着いて」と人から言われることも結構ある。


最近は「今の自分、また慌ててるな」と認識できるようになった。
認識できたからといって慌てなくなるわけではないから、話す予定のなかった(その場にそぐわない)言葉がポーンと飛び出してきて、自分の唐突な発言に驚く。

“......え? 今、何でこう言ったの?”

言おうとした言葉と、口にした言葉があべこべで、こんなにもたどたどしい言い方しかできない自分にショックを受ける。


人と話すのは、楽しい。
それなのに、落ち込む。

毎日こんなことを繰り返している。




「話す」のは、苦手だ。
怖くなって避けたいと思う夜もある。

だけど、相手の顔を見て話したからこそ伝わるものもあった。
それはきっと、文面だけでは伝わらなかった。

声が、表情が、目が、雰囲気が、

“想い”に上乗せされ、たとえつたない話し方でも、相手の心に届くのだ。
そう信じている。

私は接客業が好きだ。
「話す」ことに怯えながら、それでも伝えたいものがある。この先も続けていくだろう。



こんな私の話をいつも最後まで静かに聞いてくれるまわりの人たちに、感謝を。






そしてこの長い自分語りに付き合ってくださったあなたに、感謝を。

今日もよい一日になりますように!

この記事が参加している募集

noteの書き方

仕事について話そう

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?