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日本語の情のウエイト

日々、翻訳の作業をしていて思うのは、やはり日本語は「情」のウエイトが大きいということ。複雑な敬語しかり、話者と相手との関係で「役割」を重視することも「情」の範疇だ。

日本語や日本文化の特殊性というのはこれまでも数限りない人が語ってきたことだけれど、毎日英語と日本語の間を行き来する生活をしていると、2つの言語空間とその土台である文化の違いをイヤでも感じる。

英国という「親」に刃向かって独立した移民の国アメリカは、内部につねに他者をかかえてきた。

アメリカは、ネイテイブ部族と黒人奴隷の子孫という抑圧されつづけてきたグループを筆頭に、さまざまな独自の文化をもつグループが文字通り一触即発の状態で同居してきたという、これまた特殊な国だから、言語の「情」の面をすべての話者が共有する(「空気を読む」)ことなどまったく期待できない。

だから共通の言語空間は理詰めでニュートラルな志向になるし、話しても通じないなら法律の言語でカタをつけましょう、ということで、社会のなかで訴訟が大きなウエイトを占めている。「智」をフルに働かせて理詰めで話し合わないと絶対に理解しあえない他者に囲まれた、絶えず緊張感がある社会だ。

それに対して、大陸文化の恩恵を受けつつも海をはさんで距離をおける島国であり、その上長い間鎖国をしてきた日本は、小さな器のなかで繊細に空気を読む社会を築いてきた。「智に働けば角が立つ」と、理詰めで話すと「角が立つ」ことを気にしなくてはならないのは、それが社会で通常期待されている作法ではないからだ。

終戦直後、志賀直哉が日本語を「不完全で不便なもの」として「廃止」し、フランス語を公用語にしようと言い出したのは有名な話。日本の軍国主義化と無理な全面戦争、そして敗戦という絶望的な状況が、文学のなかで生きてきた作家をして母語を否定するほどの焦燥感に追い立てたのだろう。志賀はこの提言のなかで、明治時代に起きた英語を公用語にすべしという議論について「森有禮が英語を國語に採用しようとした事を此戰爭中、度々想起した。若しそれが實現してゐたら、どうであつたらうと考へた。…恐らく今度のやうな戰爭は起つてゐなかつたらうと思つた」と書いている。

つまり志賀は日本語の「不完全性」が、話者の「智に働く」能力を阻んでいるのだと考えていたことが伺える。

志賀直哉だけでなく多くの人が日本語が「不完全で不便」と考えたのは、やはり日本語世界には「情」のウエイトが大きく、「智」の部分が埋没しがちだという実感があったためだろう。

しかしもちろん、言語とはすべからくそれぞれに「不完全で不便なもの」だから、何を公用語とするかではなくて、文化のなかに「智に働く」ことが奨励されるシステムが強く機能しているかどうかのほうが問題のはずだ。言語機能というのは必要に応じて発達するものだし、言語が考え方を規定する力と、思考が言語を規定する力は拮抗するのではないかと思う。

封建主義の江戸から帝国主義の明治大正を経て敗戦まで、日本の権力者たちは「智」を推し進めるよりも「情」に働きかけるほうを選んできた。騒がしい他者が出入りしてこなかった日本の社会では、智に働かせるインセンティブが大きく働いてこなかったのだろう。

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