見出し画像

自分を測る物差しを他人に預けてしまうこと

最近、自分という人間の評価を他人に任せている人達が増えている気がする。

SNSが発達したことで、良くも悪くも他人との距離が以前よりも近くなり、他人の生活、はたまた自分の生活の一部すらも他人と共有することが出来る世界となった。

そのことにより、いくかの弊害も出ているんじゃないかと思う。

他人が幸せそうにしている投稿を見て、なぜか自分に対して後ろめたくなったり、画面に映し出されている他人の幸せと、今の自分を比較して勝手に打ちひしがれてしまう人々がいる。

そういう過程を繰り返していく中で、いつしか自分に相対的な評価を下すことしか出来なくなっているのではないか。

あの子にはこれが出来て、自分には出来ない。

あの子が持っているものを自分は持ってない。

故に私はあの子より劣っている。と誤った証明をしてしまっている人達が多いように思う。

実際、僕にもそういう経験が沢山ある。というか今でもやってしまう事がある。

でもよく考えてみると、この証明は間違いだと思う。

そもそも、私達一人ひとり育ってきた環境も違えば、今までの人生で経験してきたことも違うし、出逢ってきた人間だって違う。

ぶっちゃけなにもかも違う気がする。

歳が同じとか、学校・職場が同じとか、自分という人間の価値を測る上ではそこまで重要ではない要素がいくつか揃ってるだけ。

つまり、自分と他人では、比較することの出来る条件が整っていないように思う。

その整っていない条件下で、私とあの子がどっちが人間として価値があるかなんて決める事は出来ないと思う。

なのに、私たちは盲目的になってしまい、他人と比較して自分を認めることが出来なくなる時がある。

もっと自分を大切にすべきだし、可愛がってあげるべきだと思う。

自分という人間の価値を決める事が出来るのは、自分自身だけ。

そうあるべきだと思う。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?