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反逆の青二才であり続ける

なにも起こりはしない。なにも変わりはしない。けっしてなにもやって来はしない。なにを企てたところで、なにも、なんにも始まりはしない。これは不在の恐れ、存在しないという恐怖、生きていないことの不安、現実でないことの危惧、内部の分裂、拡散、消失にたいするおれの全細胞の生物的な叫びだった。「フェルディドゥルケ」W.ゴンブルーヴィッチ

冒頭からこんな調子で始まる小説。

今の気分にぴったりと言ったら精神状態を疑われるかもしれないが、こんな心情に限りなく近く、今にも叫び出したくなるような衝動に駆られることがなきにしもあらず。

そして、そんな危うい己の状態を均衡に保つために毎日ランニングをしたり、noteに文字を書き連ねているという始末なのだ。

以前、似たようなトーンの小説を読んだことがあるのを思い出した。

もう何も言うべき言葉もなかった。わが身に起こりうる一切の事柄の果てに到達したとき完全に孤独になる瞬間があるものだ。この世の果てだ。悲しみまでが、もはや何ひとつ自分に答えてはくれない、そうなればもう一度、引っ返さなくちゃならない、だれでもいい、人間たちの中へ。「世の果ての旅」セリーヌ

どちらの小説も全世界を敵に回し、全てを拒絶し、その糾弾に生涯を賭け、絶望的な闘いを続けた挙げ句に傷つき倒れるーーーお世辞にも余り幸せな小説だとは言えない。

セリーヌの描く「世の果ての旅」は言葉の洪水に翻弄されながら一気に読んでしまった記憶がある。

実は最初に引用したフェルディドゥルケの方はまだ読み始めて間もないのだ。途中で余りにもハチャメチャだったので一度匙を投げてしまった作品である。

自分の今の精神状態であれば、もしかするとある程度は共鳴して読み進めることができるかもしれない。この機会に再トライしてみるとしよう。

どこまでも落ち着きがなく、どこか人を食ったような、生き急ぎ、また同時に死に急いでいるような人物が主人公の物語に。

*タイトル写真はベルリンのハンブルガー・バーンホーフ現代美術館で撮影したものです


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