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『哀れなるものたち』感想

想定したよりも、もっとずっとオーソドックスなスタイルだった。真正面から、「女性」が歩んできたとされていることが顛倒して物語化されていた、という印象。劇場の雰囲気も加味したひどく独善的な感想としては、まだこのフォルムをブチかまさなければいけないことの辛さを勝手ながら感じた。

劇場の雰囲気、というのは、たとえばラストシーンや甲斐性なしの男が酷く振られたところで笑いが起こったり、幕が降りたあと第一声で聞こえてきたのが、エマ・ストーンの「美貌」や洗練されたデザインの話だった、ということだ。

つまり、この映画を見たあとでさえ、男性を貶めることを悦んだり——男女が平等であることがむしろフェミニズムの到達のはずだ——、ルッキズムにとらわれたままであることに、辟易せざるを得ない。もちろん「美貌」の話をするなとは言わないが、それが「第一声」であることに、違和を表明しないわけにはいかない。

もちろんそれらのことは全部折り込み済みで、だからむしろドストレートな艶笑コメディの類いであるとすら思えるけれど、まあ、つらいものはつらい(要するにこれは、フェミニズム映画に見せかけておいてフェミニズム映画ではなく、ラストで「知的」なものへと歪に権力関係が転倒しているのみである)。

映画としては、このような作品としては――あくまでこの枠組みでは、だけれど――これ以上ない出来だったと思う。ただ見終わったあとの、この心の動きは、『違国日記』のラストを読み終わったあとに、感動するとともに、それを「知っていた」と感じてしまった怒りにも似ていた。こんなことは常識で、だから皆がんばっているのではないかという怒りに。

それから個人的に、とあるシーンから真っ先に思い出したのは、カトリーヌ・マラブー『抹消された快楽 クリトリスと思考』だった。みんなこれを読んでから見に行くとよいと思う。

ご興味のある方はぜひ見に行かれるとよいと思うけれど、当然、R18+なので注意されたい。なぜか性的描写のことばかりが取り沙汰されるけれど、いわゆるグロい系(内臓系)の表現もそれなりにある。

なんか悔しいよね。勝手に悔しがっているだけなのだけれど。

2024.2.1

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