ざいぬ

日々のあれこれ

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密かな習性

夫が着た寝巻きのTシャツの匂いが好きだ。 いい匂いというものとはまた違うように思うが、例えるなら乳白色の甘くないおまんじゅうみたいな匂いがする。 私は家に一人でいるときは、夫の寝巻きのTシャツを肩にのせて行動したりする。 台所やトイレに行く時も、そのTシャツをのせている。 休日の午後、リビングのソファーに寝そべりながらなんとなくテレビをつけ、Tシャツをお腹の上にのせてうとうとしている。 冬にはそれが、ふわふわしたフリースに変わる。 丸まったフリースに手のひらをのせて呼吸してい

    • カセットテープの思い出

      友人がレコードにはまっている。 メルカリで漁るように昭和歌謡曲や童謡、昔の記憶に残っている懐かしい曲を集めはじめた。 友人曰く、音の柔らかさや意図してないノイズが入るのがアナログならではの良さで昔の曲を聴いたりすると、懐かしい記憶がより深みを増して思い出されていくらしい。 そんな話をしていたから、自分が初めて音楽を意識し始めの記憶はいつだったのだろうかと思い返してみた。 それは、たぶん小学生の時に買ってもらったカセットだったんじゃないかと思う。 私の父は、田舎の商店街で時計屋

      • おみくじを引けない私

        おみくじを引けなくなった自分に最近気がついてしまった。 私はもともと本格的な占いやスピリチュアルな要素を含んだもの、宗教的な事にあまり興味はない。 それこそ中高校生の頃は、愛読していたファッション雑誌などの後半ページにある星座別の占いコーナーはなんとなくチェックしていたが、その程度であった。 それは母方の親族や母の影響を受けて育ったせいかもしれない。 母は迷信や占いなどの言葉を受け入れた人の発言に恐ろしく敏感で、それらに影響を受けている人たちを警戒するようなところがある。

        • 東京へ戻る日に母がいつも渡すもの

          実家の母親の部屋の隅に「金ちゃんヌードル」がいくつか入った紙袋を数日前から見つけていた。 おそらく私が帰省する何日も前から購入され、そこにスタンバイされていたのだろう。 金ちゃんヌードルは、乾燥した卵や薄切りのチャーシューや椎茸のかけらが申し訳ない程度に乾麺の上に乗ったしょうゆ味のシンプルなカップタイプの即席麺だ。 カップのデザインも主に暖色系の丸文字のロゴだけで構成されており、時代に流されないポップなのかレトロなのか、ある意味絶妙な雰囲気を漂わせている。 実家のあたりではソ

        密かな習性

          終わりのない幸福などない

          実家に帰省して2日目。田舎の夜は寒い。 父はお酒が入り早々に自分の部屋に寝に行ったらしい。 こたつの中に肩まで入って寝転んだ私の視界にはテーブルの上の積み重なったみかんの頭が少しだけみえる。 壁に掛けてある時計はここからは、かろうじてみえて午後6時12分になるようだ。 つけっ放しのテレビから正月らしいクイズ番組が流れているが、誰も真剣にはみていない。 うつ伏せになり、巨大な甲羅を持った亀のようにこたつの中を独占する。 右側にはさっき入ってきた夫の冷えた足先が。その向かいには正

          終わりのない幸福などない