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おみくじを引けない私

おみくじを引けなくなった自分に最近気がついてしまった。
私はもともと本格的な占いやスピリチュアルな要素を含んだもの、宗教的な事にあまり興味はない。
それこそ中高校生の頃は、愛読していたファッション雑誌などの後半ページにある星座別の占いコーナーはなんとなくチェックしていたが、その程度であった。
それは母方の親族や母の影響を受けて育ったせいかもしれない。

母は迷信や占いなどの言葉を受け入れた人の発言に恐ろしく敏感で、それらに影響を受けている人たちを警戒するようなところがある。
「おじいちゃんは迷信や占いが大っ嫌いだった!」これは、スピリチュアルや占いやらの話題が出た時、必ず最後に母が言う決まり文句である。ちなみに、語気はいつもやや強めになっている。

父もそんな母に合わせてなのかどうなのか、普段は興味は無いような態度を取ってはいるものの、家族で初詣に行くと必ず私にこっそりと、一緒におみくじを引こうというようなことを曖昧な誘い方で伝えてくる。
毎年その父の誘いにのり、私もおみくじを引いている。おみくじの内容がどうだったかは、神社の木におみくじをくくりつけて歩き出したくらいには、もうほぼ意識の外にある。
父は中吉レベルが出るまで引き続けていた。

しかし、今まで意識していなかった私が少しだけこの手の話に敏感になり始めたのは確か2、3年前の本厄の頃だと思う。
厄払いなど今までしたことがなかったが、年の初めに友人に誘われて近所の神社で一緒に厄払いをした。祝詞で読み上げられた私の住所は間違ってはいたが、帰りにお札とお守りをもらいアラサーの私は少しだけ安堵したのを憶えている。
この時初めて自分が主体となるスピリチュアル的な儀式に触れたのである。
よくわからない妙な安心感を手に入れた私は、徐々にこの手のことを意識するようになった。
朝のテレビの占いですら気になるようになった。気にはなるのだが、テレビのチャンネルはついつい変えてしまう。

昨日は仕事始めで会社での祈祷に参加することになった。
祈祷に向かう途中、普段親しくしている50代のおじさんとお互いの年末年始のたわいもない話をしていた。
ふと、おじさんの左手に見慣れないパワーストーンがつけられていることに気づいた。
「それ、どうしたんですか?」
何も考えずに聞いていた。
「ちょっといろいろあって.....。」
突然、曇った声だった。
以前、おじさんは会社の祈祷の帰りには必ずおみくじを引いていると言っていたが、今年は引かなかった。理由はあえて聞かなかった。
私も引かず、おじさんの後を追いかけて会社へ戻った。

頭では信じてはいないのだが、おみくじの内容を見ることに私は若干恐怖を感じている。
何度も引いてみせる父の様な人はタフで本当にうらやましい。

母には私がおみくじを引かない本当の理由は言えない。それはそれで曖昧でいいのではないかと思う。

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