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無責任に、生きている。

○ ○ ○

「言われるの? 普通。」
「なにを?」
「だから。普通の家庭では、子供が学校でいじめにあって、それで学校に行かないことに決めたとしても、母親なんかが許さないというわけなの?」
「・・・・・・そういう人もいるんじゃないの。」
「なんで? 危ないじゃない。身の危険を感じるから行きたくないというのを、行かなきゃダメだっていう親が、世の中にはいると?」
「いるんじゃない。」
「・・・・・・へんなの。」
「へんだねえ。」

ーー木地雅映子「悦楽の園・上」より

○ ○ ○

高校生ぐらいまでは、家と学校が世界のすべてだった。
親がルールで学校がルールだった。
幸い、私はいじめられたこともなく(多分)、特に高校の部活は楽しくって、ソフトに学生時代を過ごしたけど、息苦しさは時折感じていたかなぁ。

それは、昼にお弁当を食べるグループと上手くしゃべれないとか、
そんなようなことだった気がする。
あとは、なんか家庭科でクラスメイトに教えたことが、間違っていたんだか相手が聞き間違えたんだかで、陰口叩かれてて謝らせてももらえなかったとか。そんなの。
そうそう、先生が勘違いして無駄に怒られたこともあったなぁ。

今となっては「どれも些細な事」って思っちゃうけど、20年くらい月日が流れた今でも覚えてるくらいには、当時は気に病んでいたんだと思う。

先生に勘違いで怒られたことは、親にも相談した記憶があるけど、
「大丈夫よー!」って笑い飛ばされた記憶がちょっぴり。
(コイツに相談してもだめだこりゃ)って思った記憶もうっすら。

そうなんだよね。
「大人どもはすぐ『それくらい 大丈夫!!』って笑うけど、こっちは全然気がラクになったりしないし、大丈夫じゃないよ!!! 無責任に笑うなー」
って静かに怒っていた気がする。

確かに大人が言う通り私は生きてるし、「もうおしまいだあ」と思えども世界は終わらなかった。
先生の件に関しては、弁明も何もしなかった気がするけど(弁明くらいしろよ!と今は思う)、別に以降ずっと険悪っていうわけでもなかった気がするし・・・。覚えていない・・・。
あんなに悩んだはずなのに。

当時の私、私は生きてるよーー! 大丈夫大丈夫!
って言うのは簡単だけど。

多分、欲しいものはそれじゃないんだよね。なんだろう。
聞いてほしい、寄り添って欲しい、私の意思を尊重して欲しい、かなぁ。

タイムマシンがなくて、今の私があの時に行けないならば。
友達や親に、それを求めることになるのかな。
学校がしんどいなら、せめて家庭が防波堤になって欲しいな。

今は、私が二児の母だから、私がちゃんと子供を尊重できてるかな、
八つ当たりや私自身の都合だけを押し付けてないかな、
って振り返る立場に替わってるのだけど。
ちゃんと話が出来てるかな。無条件にホイホイ飲むのも、私の都合を無理矢理押し付けるのも、どっちも愛がないもの。

どうやったら世界って、広がるのかなぁ。
さかなクンの「いじめられている君へ」の文章がすごく好きで、釣りはしなくても、学校でも家庭でもない場所が作れればいいなって思ったりする。

私は部活と、学校の図書室が学校でも家庭でもない場所だった。校内ではあるのだけど、そこは教室とは違った。
2、3度、図書室で5限目をサボって、ウザい司書さんにめっちゃ嫌な顔されたこともあった。
本が好きで、いろんな物語を読んだ。

冒頭の、木地雅映子さんの本は、主人公が、自分でどんどん決断して行動していく子で、憧れた。
下巻に出てくるおじいさまの、
「それは当然だ。大人が子供を潰さなかった時代など、歴史上には存在しない。」
のセリフ近辺も、厳しいけどすごく好き。

本を読んでると、自分の現実世界の息苦しさと比べてしまって辛くなっちゃうこともあるけど、でも、やっぱり本に救われたことの量の方が多い気がして。

逃げちゃえばいいよ! とか学校なんか行かなくていいよ! って言われるけど、

逃げる勇気もサボる勇気もない、私みたいな子供たち、
せめて、本の世界に逃げてみて。

いずれ、自分で決めて、生きる時がくる。

おすすめ
全部、学校に違和感を感じてる人達の話!

◆木地雅映子:氷の海のガレオン(是非ハードカバーで! 同時収録の「天上の大陸」、「薬草使い」も大好きなのです。)

◆梨木香歩「西の魔女が死んだ」

◆おかざき真里(漫画)「1996年の夏休み」

◆五十嵐大介(漫画)「海獣の子供」

◇アニメだけど、魔女の宅急便も結構刺さって、最後には元気になれるかもなあ。

#思うこと
#本
#読書


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