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小説作法 小島信夫

私は読書について書こうと思う。
読書とは何かというと、書籍を読むことである。
雑誌を読むのは読書には入らないかというと、入らない。
論文も入らない。
新聞も入らない。
とにかくここでは、書籍を読むことを読書と定義して進もうと考えている。
書籍とは何かというと、これもまた難しくて、電子書籍を読むことは読書なのだろうか。
電子書籍も書籍なのだから読書だろうと仮定すると、だったらnoteは書籍ではないのかという話になってきて、noteは書籍と名乗っていないから読書ではないなどとすると、いったい何に拘っているのだろうと、わからなくなる。
そこで、いったんは、紙の書籍を読む行為を、ここでの読書の定義としたい。
私は今、stoneというアプリというかエディターを使って書いている。
縦書きに設定している。
何かの対談で、千葉雅也が使っていると言っていたので、試しに使ってみたら、とてもよかった。
私は、読書について書くのだが、「書く」という行為についても考えていきたいと思う。
私は、書くことがそれほど好きではない。
読まずにいられないはあるが、書かずにいられなかったことは、ほとんどない。
今日は書きたい気分だ。
昨日、小島信夫を読んだからだ。
小島信夫を読むと、文章が書きたくなる。
中公文庫で、過去の文章を集めた「小説作法」というのが発売されたので、それを読んでいる。
最初の方は、年代が1950年代とか1960年代とかで、とても古いせいか、どうも読んでいてコードが合わない感じがして、あまりおもしろいと思わなかった。
今、100ページをすぎたあたりで、少しおもしろく感じてきている。
カフカやチェーホフの話に関心があったからかもしれないし、私が慣れてきたせいかもしれない。
私は、読書が好きで、小島信夫が好きで、小島信夫を読むと文章を書く。

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